薄紫の可憐な松虫草は、大空の星が落した花のような塵にもまみれず、爽やかな夏の朝を、高原のそこここに咲いていた。美しい糸を包んだ
海抜三千尺という山の上から望む
ゴルフリンクから遊びつかれた人たちが帰ってくる。大かた異国の人ばかりであった。ゴルフもこの頃は日本人の遊びの一つになったけれども、今から七八年も前のその頃は、ゴルフの楽しみも異国の人のほかは、ほんの一部の人の享有するところであったらしい。異国の人はあらゆる運動を生活の中に取入れて、明るい、豊かな生活を創造しようとする。残念であるけれども日本の人、ことに老いた婦人たちは、運動などは子供の世界のことのように思って、歩くことさえも大儀がる。
私は兄達や異国の人に伍して、毎日のように山道を散策していたが、日本の婦人にはほとんど合わなかった。はるか麓の方に阪神電車の走るのが見えて、ここは兵庫県の六甲山であることは
山の頂に見る入日の姿、それは夏の夕べのなつかしい眺めの一つである。私は考えるともなく、こんな歌を書きつけた。
落日は巨人の魂 かわが魂か炎のごとく血汐の如し
熱しきった太陽は爛々と燃え、最後の残照を西の空一面に放ったまま、
||私は夜の静けさの
よき月夜すあしのつまのほの青う露にぬれたり芝生に立てば
家から家に遠いこの山の上は、しっとりと露ばんだ灌木の茂みを通して、はるか向うに走る電車の灯を望むのも、何か涙ぐましい心地がする。遠く見下ろされる町々の灯、そこに欺き合い、背き合いつつ生活している恩讐の世界があろうとは、どうしても思われないのである。私は山上の静かな生活のなかに、浄化されてゆくような心持ちを、地上の生活にもたもちつづけたいと思った。
夏が終って、私は山を下りた。山の上の静かな生活のなかに自分を見出した私は、地上の生活にもやっぱり逃れられぬ自分を見出すのであった。||すべては七年前の思い出となって、ただ松虫草の花の色のみが、今も鮮かに染まっている。