「広場の孤独」は甚だ好評を得た作品のようですが、私は感心しませんでした。
日本の左翼文学がそうであったと同じように、自分の側でない者に対する感情的で軽々しいきめつけ方は、特に感心できません。つまり、この作者が人間全体に対している心構えの低さ、思想の根の浅さ、低さだろうと思います。文学はいつもただ「人間」の側に立つべきで、特定の誰の側に立つべき物でもありません。
また「ドラマ性の欠如」という点も挙げられます。お金持の異国の老人なぞ、もしもそのような人間があってこの主人公夫妻らしきものとそれぞれのツナガリがあるような事実があるとすれば、ドラマの主点は当然そちらへ置かれなければならない。しかるに、そうでないというのは、全てが「とってつけたようで」この作品の人物はみんな傍系的でしかない。広場の孤独なぞという説明も、血の通ったところのない空々しいものとしか受けとれませんでした。他の候補作品にも「賞」に価するものは見受けられませんでした。
これは候補作品ではありませんが安岡章太郎氏(前回の候補作「ガラスの靴」の作者)の作品が二ツ目にとまったので読みましたが、小品ながら、どちらも筋の通ったものだと思いました。前作一ツの場合とちがって、三ツ並べてみると、安心のできる作者だとは思いましたが、「宿題」(文学界二月号)も特に力作、傑作というわけではないので、強いて芥川賞にスイセンしたいとは思いません。