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ちるちる・みちる
山村暮鳥
自序
お芋(いも)の蒸(ふ)けるのを、子(こ)ども等(ら)と
樂(たの)しく一しよにまちながら
···
···
わたしは二人(ふたり)の子(こ)どもの父(ちゝ)であります。(三人(にん)でしたがその一人(ひとり)は此(こ)の現實(げんじつ)の世界(せかい)にでて僅(わづか)に三日(か)、日光(ひのひかり)にも觸(ふ)れないですぐまた永遠(えいゑん)の郷土(きやうど)にかへつて行(ゆ)きました)勿論(もちろん)、天眞(てんしん)な子(こ)ども達(たち)に對(たい)しては耻(はづか)しいことばかりの、それこそ名(な)ばかりの父(ちゝ)であります。否(いな)、父(ちゝ)ではありません。友(とも)であります。ほんとに善(よ)い友(とも)でありたいと、それを切(せつ)に希(ねが)ふものです。
子(こ)ども達(たち)をおもふと、わたしは幸福(かうふく)を感(かん)じます。わたしは希望(きばう)を感(かん)じます。子(こ)ども達(たち)をとほしてのみ、眞(まこと)の人間(にんげん)の生活(せいくわつ)は、その意味(いみ)が解(わか)るやうに、わたしには想(おも)はれます。
子(こ)ども達(たち)をおもひ且(か)つ愛(あい)することに依(よつ)て、わたしはわたしの此(こ)の苦惱(くるしみ)にみちみてる生涯(しやうがい)を純(きよ)く、そして美(うつく)しい日々(ひゞ)として過(すご)すでせう。これは大(おほ)きな感謝(かんしや)であります。
此(こ)の夏(なつ)はじめの或(あ)る宵(よひ)のことでした。築地(つきぢ)の聖(せい)ルカ病院(びやうゐん)にK先生(せんせい)のお孃(じやう)さんをみまひました。おなじく、深(ふか)い罅(ひゞ)のはいつた肉體(からだ)をもつてゐるわたしは、これから海(うみ)に行(ゆ)かうとしてゐたので、一つはしばらく先生(せんせい)にもお目(め)に懸(かゝ)れまいと思(おも)つて。ああ、お孃(じやう)さんをみる、それが、而(しか)も最後(さいご)にならうとは!
あはれ白百合(しらゆり)
谿(たに)の百合(ゆり)
まだ露(つゆ)ながら、かつくりと
しほれて
頸(くび)を垂(た)れました
處女(をとめ)は
めされてゆきました
アイア
ポペイア
そして天國(みくに)へゆきました
先生(せんせい)は奥樣(おくさま)と、夜晝(よるひる)、病床(ベツド)の側(そば)を離(はな)れませんでした。そして身(み)を碎(くだ)いて看護(かんご)をなされました。先生(せんせい)は「自分(じぶん)にかはれるものならば喜(よろこ)んで代(かは)つてやりたい」と沁々(しみ/″\)、その時(とき)、わたしに言(ゆ)はれました。それを聽(き)いた刹那(せつな)のわたしは、その神樣(かみさま)のやうなことを仰(おつしや)る先生(せんせい)を、心(こゝろ)の中(なか)で、手(て)をあはせて拜(をが)んでゐました。
子(こ)をおもふ此(こ)の尊(たふと)い親心(おやごゝろ)! 親(おや)にとつて子(こ)ほどのものがありませうか。子(こ)どもは生(いのち)の種子(たね)であり、子(こ)どもは地(ち)を嗣(つ)ぐものであり、子(こ)どもは天(てん)の使(つかひ)であり。愛(あい)そのもの[#「そのもの」に傍点]であり、その子(こ)どもがあるから、どんな暗黒(あんこく)な時代(じだい)でも、未來(みらい)にひかり[#「ひかり」に傍点]を見(み)るのです。
此(こ)の本(ほん)にあつめたものは、その二ツ三ツを除(のぞ)いて、みんなわたしの獨創(どくそう)による作品(さくひん)であります。
わたしは今(いま)、此(こ)の本(ほん)を、小(ちひ)さい兄弟姉妹(けうだいしまい)達(たち)である日本(にほん)の子(こ)ども達(たち)に贈(おく)ります。また。その子(こ)ども達(たち)の親(おや)であり、先生(せんせい)である方々(かた/″\)にも是非(ぜひ)、讀(よ)んで戴(いたゞ)きたいのです。と言(い)ふのは、唯(たゞ)單(たん)に子(こ)ども達(たち)のためにとばかりでは無(な)く、わたしは此等(これら)のはなしの中(なか)で人生(じんせい)、社會(しやくわい)及(およ)びその運命(うんめい)や生活(せいくわつ)に關(くわん)する諸問題(しよもんだい)を眞摯(まじめ)にとり扱(あつか)つてみたからであります。
これらは大方(おほかた)、而(しか)も今年(ことし)六ツになる女(をんな)の子(こ)のわたしたちの玲子(れいこ)
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千草(ぐさ)は、まだやつと第(だい)一のお誕生(たんじやう)がきたばかりで、何(なんに)も解(わか)りません
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に、宵(よひ)の口(くち)の寐床(ねどこ)のなかなどで、わたしが聽(き)かせたものなのです。親(おや)としてまた友(とも)としての善良(ぜんりやう)な心(こゝろ)をもつて。
爾(なんぢ)、海(うみ)にゆきて鉤(はり)を垂(た)れよ。
はじめに釣(つ)りたる魚(うを)をとりて
その口(くち)をひらかば
金貨(きんくわ)一つを獲(う)べし。
Math,.XVIII,27.
目次
海(うみ)の話(はなし)
まだ生(い)きてゐる鱸(すゞき)
莢(さや)の中(なか)の豆(まめ)
鳩(はと)はこたへた
口喧嘩(くちげんくわ)
機織虫(はたをりむし)
鸚鵡(あふむ
)
土鼠(もぐら)の死(し)
茶店(ちやみせ)のばあさん
烏(からす)を嘲(あざ)ける唄(うた)
石芋(いしいも)
おやこ
木(き)と木(き)
家鴨(あひる)の子(こ)
雜魚(ざこ)の祈(いの)り
森(もり)の老木(らうぼく)
鴉(からす)と田螺(たにし)
仲善(なかよ)し
動物園(どうぶつゑん)
頬白鳥(ほうじろ)
瓜畑(うりばたけ)のこと
蟹(かに
)
蛙(かへる)
風(かぜ)
馬(うま)
蚊(か)
蚤(のみ)
蝉(せみ)は言(い)ふ
耳(みゝ)を切(き)つた兎(うさぎ)
運(はこ)ばれる豚(ぶた)
虻(あぶ)の一生(しやう)
泥棒(どろぼう)
星(ほし)の國(くに)
鯛(たひ)の子(こ)
どうしてのんべえ[#「のんべえ」に傍点]は其(その)酒(さけ)を止(や)めたか
ささげの秘曲(ひきよく)
海の話
或(あ)る農村(のうそん)にびんぼうなお百姓(ひやくせう)がありました。びんぼうでしたが深切(しんせつ)で仲(なか)の善(よ)い、家族(かぞく)でした。そこの鴨居(かもゐ)にことしも燕(つばめ)が巣(す)をつくつてそして四五羽(は)の雛(ひな)をそだててゐました。
その日(ひ)は朝(あさ)から雨(あめ)がふつてゐました。
巣(す)の中(なか)で、胸毛(むなげ)にふかく頸(くび)をうづめた母燕(おやつばめ)が眠(ねむ)るでもなく目(め)をつぶつてじつとしてゐると雛(ひな)の一つがたづねました。
「母(かあ)ちやん、何(なに)してるの。え、どうしたの」
と、しんぱいして。
「どうもしやしません。母(かあ)ちやんはね。いま考(かんが)え事(ごと)をしてゐたの」
すると、他(ほか)の雛(ひな)が
「かんがえごとつて何(なあに)」
「それはね
···
···
さあ、何(なん)と言(ゆ)つたらいいでせう。あんた達(たち)がはやく大(おほ)きくなると、此(こ)の國(くに)にさむいさむい風(かぜ)が吹(ふ)いたり、雪(ゆき)がふつたりしないうちに遠(とほ)い遠(とほ)い故郷(こきやう)のお家(うち)へかえるのよ。そして遠(とほ)い遠(とほ)いその故郷(こきやう)のお家(うち)へかえるには、それはそれは長(なが)い旅(たび)をしなければならないの。それがね、森(もり)や林(はやし)のあるところならよいが、疲(つか)れても翼(はね)をやすめることもできず、お腹(なか)が空(す)いても何(なに)一つ食(た)べるものもない、ひろいひろい、それは大(おほ)きな、毎日(まいにち)毎晩(まいばん)、夜(よる)も晝(ひる)も翅(か)けつづけで七日(か)も十日(か)もかからなければ越(こ)せない大(おほ)きな海(うみ)の上(うへ)をゆくのよ」
「まあ」と、それを聽(き)いて雛(ひな)達(たち)はおどろきました。
「それだからね、翼(はね)の弱(よわ)いものや體(からだ)の壯健(たつしや)でないものは、みんな途中(とちう)で、かわいさうに海(うみ)に落(お)ちて死(し)んでしまふのよ」
氣速(きばや)なのが
「たすけたらいい」と横鎗(よこやり)をいれました。
「ところがね、それが出來(でき)ないの。なぜつて、誰(だれ)も彼(かれ)も自分(じぶん)獨(ひと)りがやつとなのよ。みんな一生懸命(いつしやうけんめい)ですもの。ひとを助(たす)けやうとすれば自分(じぶん)もともども死(し)んでしまはねばならない。それでは何(なん)にもならないでせう。ほんとに其處(そこ)では助(たす)けることも助(たす)けられることもできない。まつたく薄情(はくじやう)のやうだが自分々々(じぶん/″\)です。自分(じぶん)だけです。それ外(ほか)無(な)いのさ、ね」
「でも、もし母(かあ)ちやんが飛(と)べなくなつたら、僕(ぼく)、死(し)んでもいい、たすけてあげる」
「そうかい、ありがとう。だけどね、またその蒼々(あを/\)とした大(おほ)きな海(うみ)を無事(ぶじ)にわたり切(き)つて、陸(をか)からふりかへつてその海(うみ)を沁々(しみ/″\)眺(なが)める、あの氣持(きもち)つたら
···
···
あの時(とき)ばかりは何時(いつ)の間(ま)にかゐなくなつてゐる友達(ともだち)や親族(みうち)もわすれて、ほつとする。ああ、あの嬉(うれ)しさ
···
···
」
「はやく行(い)つて見(み)たいなあ」
「わたしもよ、ね、母(かあ)ちやん」
「ええ、ええ。誰(だれ)もおいては行(ゆ)きません。ひとり殘(のこ)らず行(ゆ)くのです。でもね、いいですか、それまでに大(おほ)きくそして立派(りつぱ)に育(そだ)つことですよ。壯健(たつしや)な體(からだ)と強(つよ)い翼(はね)! わかつて」
「ええ」
「ええ」
「ええ」
と小(ちい)さい嘴(くち)が一齊(せい)にこたへました。母燕(おやつばめ)はたまらなくなつて、みんな一しよに抱(だ)きしめながら
「何(なん)てまあ可愛(かあい)んだろ」
まだ生きてゐる鱸
朝早(あさはや)く、磯(いそ)で投釣(なげづ)りをしてゐる人(ひと)がありました。なかなか掛(かゝ)らないので、もうやめよう、もうやめようとおもつてゐました。と一尾(ぴき)大(おほ)きな奴(やつ)がかかりました。
鱸(すゞき)でした。
その人(ひと)のよろこびつたらありませんでした。急(いそ)いで、それをぶらさげて歸(かへ)らうと立(た)ちあがりました。
すると鱸(すゞき)が
「にいさん、私(わたし)を何處(どこ)へもつて行(い)くんです」
と聲(こゑ)をかけました。
まだ生(い)きてゐるのでした。
「えつ! お母(つか)あにさ。お母(つか)あは此頃(このごろ)、すこし病氣(びやうき)してゐるんだ」とは言(ゆ)つたものの、心(こゝろ)の中(なか)では「すまない、すまない」と手(て)をあはせるばかりでありました。
魚(さかな)は
「どうせ食(た)べられるなら、こんな孝行者(かうこうもの)の親(おや)の口(くち)にはいるのは幸福(しあはせ)といふもんだ」と、よろこんでその觀念(くわんねん)の目(め)をとぢました。そして二度(ど)と再(ふたゝ)びひらきませんでした。
莢の中の豆
莢(さや)の中(なか)には豆粒(まめつぶ)が五つありました。そして仲(なか)が善(よ)かつたのです。けふもけふとて、むつまじくはなしてゐました。
「もう外(そと)にでる日(ひ)が近(ちか)くなつたやうだね」
「どんなに美(うつく)しいでせう、世界(せかい)は」
「はやくみたいなあ」
「外(そと)にでても、此處(こゝ)で一つの莢(さや)の中(なか)で、かうしてお互(たが)ひに大(おほ)きくなつたことをわすれないで、仲善(なかよ)くしませうね」
「ええ」
ある日(ひ)の午後(ごゞ)。ぱちツと不思議(ふしぎ)な音(をと)がしました。莢(さや)が裂(さ)けたのです。豆(まめ)は耳(みゝ)をおさえたなり、地(ぢ)べたに轉(ころ)げだしました。
そしてばらばらになつてしまひました。
鳩はこたへた
鳩(はと)はお腹(なか)が空(す)いてゐました。朝(あさ)でした。羽蟲(はむし)を一つみつけるがはやいか、すぐ屋根(やね)から庭(には)へ飛(と)びをりて、それを捕(つか)まえました。
あはや、嘴(くちばし)が近(ちかづ)かうとすると
羽蟲(はむし)が
「ちよつと待(ま)つて」と言(い)ひました。
「何(なに)か用(よう)かえ」
「ええ」
「どんな用(よう)だえ。聽(き)いてやるがら言(ゆ)つて見(み)たらよからう」
羽蟲(はむし)はくるしい爪(つめ)の下(した)で、いひ澁(しぶ)つてゐましたが思(おも)ひ切(き)つて
「あのう
···
···
世間(せけん)では、あなたのことを愛(あい)の天使(みつかひ)だの、平和(へいわ)の表徴(シンボル)だのつて言(ゆ)つてゐるんです」
「そして」
「それだのにあなたは今(いま)、何(なん)の罪(つみ)もない私(わたし)の生命(いのち)を取(と)らうとしてゐる」
「それから」
「それは無法(むほふ)といふものです」
「なるほど、或(あるひ)はそうかも知(し)れない。けれど自分(じぶん)は飢(う)えてゐる。それだから食(た)べる。これは自然(しぜん)だ、また權利(けんり)だ」
「えつ!」
「何(なに)もそんなにおどろくことはない。それが萬物(ばんぶつ)の生(い)きてゐる證據(しやうこ)さ」
口喧嘩
南瓜(かぼちや)と甜瓜(まくはうり)と、おなじ畑(はたけ)にそだちました。種子(たね)を蒔(ま)かれるのも一しよでした。それでゐて大(たい)へん仲(なか)が惡(わる)かつたのです。
おたがひに日(ひ)に々々大(おほ)きく、いまは人間(にんげん)の眼(め)をひくほどになりました。
或(あ)る日(ひ)、おてんば娘(むすめ)の甜瓜(まくはうり)が、かぼちや[#「かぼちや」に傍点]に毒舌(どくぐち)を吐(つ)きました。
「よお。おむかうの菊石(あばた)顏(づら)の若(わか)だんな。おほゝゝゝ。なにをそんなにお欝(ふさ)ぎなの、大抵(たいてい)で諦(あきら)めなさいよう。いくらかんがえたつて、みつともない。第(だい)一そのお面(めん)ぢやはじまらないんだから」
それをきいたかぼちや[#「かぼちや」に傍点]の怒(をこ)つたの怒(をこ)らないのつて、石(いし)のやうな拳固(げんこ)をふりあげて飛(と)び懸(かか)らうとしましたが、蔓(つる)が足(あし)にひつ絡(から)まつてゐて動(うご)かれない。くやしさに鬼(をに)のやうな顏(かほ)がいよいよ鬼(をに)のやうに醜(みにく)く、まつ赤(か)になりました。ぶるぶると身震(みぶる)ひしながら「うむむ、うむむ」と何(なに)か言(い)はうとしても言(い)へないで悶(もだ)えてゐました。
そして漸(やつ)と
「いまだからそんな口(くち)もきけるんだ。此(こ)の尼(あま)つちよめ!
···
···
貴樣(きさま)が花(はな)だつた時分(じぶん)ときたらな
···
···
どうだい、あの吝嗇(けち)くせえ小(ちつ)ぽけな、消(け)えてなくなりさうな花(はな)がさ。それでも俺(おい)らは何(んない)とも言ひやしなかつた
···
···
自分(じぶん)のことは棚(たな)に上(あ)げたなり忘(わす)れてしまつて。お前(めえ)はあれでも耻(はづか)しいとも何(なん)とも思(おも)つてはゐなかつたのか」とどもり吃(ども)り、つぎはぎだらけの仕返(しかえ)しをして、ほつと呼吸(いき)をつきました。
甜瓜(まくはうり)は葉(は)つぱのかげで、その間(あひだ)、絶(た)えずくすくす笑(わら)つてゐました。
けれども南瓜(かぼちや)はくやしくつて、くやしくつて、たまらず、その晩(ばん)、みんなの寢靜(ねじづ)まるのを待(ま)つて、地(ぢ)べたに頬(ほつぺた)をすりつけて、造物(つくり)主(ぬし)の神樣(かみさま)をうらんで男泣(をとこな)きに泣(な)きました。
機織蟲
蟲(むし)の中(なか)でもばつた[#「ばつた」に傍点]は賢(かしこ)い蟲(むし)でした。この頃(ごろ)は、日(ひ)がな一日(にち)月(つき)のよい晩(ばん)などは、その月(つき)や星(ほし)のひかりをたよりに夜露(よつゆ)のとつぷりをりる夜闌(よふけ)まで、母娘(おやこ)でせつせと機(はた)を織(を)つてゐました。
母(はゝ)は親(おや)だけに、叮嚀(ていねい)に
「ギーイコ、バツタリ」と織(を)つてをりますが、性急(せつかち)な娘(むすめ)つ子(こ)は、
「ギツチヨン。ギツチヨン。ギ、ギツチヨン」とそれはそれは大(たい)へん忙(せわ)しそうなのです。
野(の)は桔梗(ききやう)、女郎花(をみなへし)のさきみだれた美(うつく)しい世界(せかい)です。その草(くさ)の葉(は)つぱのかげで
「ギーイコ、バツタリ」
「ギツチヨン。ギツチヨン」
ある時(とき)、そこへ森(もり)の方(はう)から、とぼとぼと腹這(はらば)ふばかりに一ぴきの
※ (かな/\)
があるいてきました。翅(はね)などはもうぼろぼろになつて飛(と)べるどころではありません。
機織蟲(ばつた)をみかけると
「毎日(まいにち)、毎日(まいにち)よくまあ、お稼(かせ)ぎですこと」と言(い)ひました。
「はい、仲々(なか/\)埒(らち)があきません。もう、遠(とほ)くの山々(やま/\)は雪(ゆき)がふつたつていひますのに」
「まあ! めつきり朝夕(あさゆう)が冷(つめた)くなりましてね」
「あなたは、もう冬(ふゆ)の準備(おしたく)は」
「その冬(ふゆ)の來(こ)ないうちに蟻(あり)どののお世話(せわ)にならなきやなりますまい」
「え、そんなことが
···
···
」
「さあ、なければないのが不思議(ふしぎ)なのです。おやおやお日樣(ひさま)も山(やま)がけへ隠(かく)れた。ではお早(はや)くおしまひになさいまし」
陸稻(をかぼ)畠(ばたけ)の畔道(あぜみち)を、ごほんごほんと咳入(せきい)りながら、
※ (かな/\)
はどこへゆくのでせう。金泥(きんでい)を空(そら)にながして彩(いろど)つた眞夏(まなつ)のその壯麗(そうれい)なる夕照(ゆうせふ)に對(たい)してこころゆくまで、銀鈴(ぎんれい)の聲(こゑ)を振(ふ)りしぼつて唄(うた)ひつづけた獨唱(ソロ)の名手(めいしゅ)、天(そら)飛(と)ぶ鳥(とり)も翼(はね)をとどめてその耳(みゝ)を傾(かたむ)けた、ああ、これがかの夕日(ゆうひ)の森(もり)に名高(なだか)く、齢(とし)若(わか)き閨秀(をんな)樂師(がくし)のなれの果(はて)であらうとは!
母娘(おやこ)は顏(かほ)をみあはせましたが、寂(さび)しさうにその何方(どちら)からも何(なん)とも言(ゆ)はず、そして
※ (かな/\)
のうしろ姿(すがた)がすつかり見(み)えなくなると、またせつせと側目(わきめ)もふらずに織(を)り出(だ)しました。
「ギーイコ、バツタリ」
「ギツチヨン。ギツチヨン」
鸚鵡
あるところに手(て)くせ [#「くせ」に傍点]の惡(わる)い夫婦(ふうふ)がありました。それでも子(こ)どもがないので、一羽(は)の鸚鵡(あふむ)を子(こ)どものやうに可愛(かあい)がつてをりました。
鸚鵡(あふむ)が人間(にんげん)の口眞擬(くちまね)をするのは、どなたもよくしつてをります。
誰(だれ)か
「お早(はや)う」といへば、鳥(とり)もまた
「おはやう」と言(い)ひます。
それから夜(よる)になつて灯(あかり)が點(つ)いて「おやすみなさい」ときくと、おなじやうに
「おやすみなさい」と喋舌(しゃべ)ります。
ほんとに鸚鵡(あふむ)は愛嬌者(あいきやうもの)です。
そこの家(いへ)にお客樣(きやくさま)がきました。すると鸚鵡(あふむ)が
「あんたは白瓜(しろうり)一本(ぽん)、それつきり」といひました。お客樣(きやくさま)が
「え」と聽(き)きかへすと
「妾(わたし)はそれでも反物(たんもの)三反(だん)」
何(なに)が何(なん)だかさつぱり解(わか)りません。そこへお茶(ちや)を持(も)つてでてきたお上(かみ)さんにそのことを話(はな)すと
「ええ、昨晩(ゆうべ)、盗賊(どろぼう)にとられた物(もの)のことを言(ゆ)つてるのでせう」
お客樣(きやくさま)がかへると
「お前(まえ)は、何(なん)て馬鹿(ばか)だらう。うつかり秘密話(ないしよばなし)もできやしない」と、大(たい)へん叱(しか)られました。鸚鵡(あふむ)は叱(しか)られてどぎまぎしました。多分(たぶん)、口(くち)まねが拙手(へた)なので、だらうとおもひまして、それからと言(い)ふものは滅茶苦茶(めちやくちや)にしやべり續(つゞ)けました。叱(しか)られれば叱(しか)られるほどしやべりました。
「ええ、ゆふべ、泥棒(どろぼう)
···
···
何(なん)て馬鹿(ばか)だろ
···
···
白瓜(しろうり)一本(ぽん)、反物(たんもの)三だん
···
···
うつかり秘密話(ないしよばなし)もできやしない」
夫婦(ふうふ)は困(こま)つてしまひました。そして、鳥屋(とりや)へもつて行(い)つて賣(う)りました、けれどそれが運(うん)の盡(つ)きでした。その嘴(くち)からの言葉(ことば)で、とうとう二人(ふたり)は捕(つかま)つて、暗(くら)い暗(くら)い牢獄(ろうごく)のなかへ投(な)げこまれました。
土鼠の死
土鼠(もぐら)が土(つち)の中(なか)をもくもく掘(ほ)つて行(ゆ)きますと、こつりと鼻頭(はながしら)を打(ぶ)ツつけました。うまいぞ。それが何(なん)だかよく見(み)もしないで、仲間(なかま)に氣(き)づかれないやうに、そのまま、そつと砂(すな)をかけて、知(し)らない顏(かほ)をして引(ひ)き返(か)えしました。あとで來(き)て、獨(ひと)りでそれを食(た)べやうとおもつて。
途中(とちう)で友(とも)だちに逢(あ)ひました。
「どうしたんだ」
「む、大(おほ)きな木(き)の根(ね)つこで行(ゆ)かれやしない、駄目(だめ)だ」
夜(よる)になりました。こつそりでかけました。そして見(み)て驚(おどろ)きました。「なあんだ。こりや石(いし)じやないか。ちえツ、馬鹿々々(ばか/″\/″\)しい」
そこへ、するすると意地(いぢ)の惡(わる)い蚯蚓(みゝず)が匍(は)ひだしてきました。
「何(なん)ぼ何(なん)でも石(いし)は喰(く)はれませんよ。晩餉(ごはん)はまだなんですか。そんならおしへて上(あ)げませう。此處(こゝ)を左(ひだり)へ曲(まが)つて、それから右(みぎ)に折(を)れて、すこし、あんたと昨日(きなふ)あつた路(みち)のあの交叉點(よつかど)です。品物(しなもの)は行(ゆ)けばわかります。だがね、そいつは生(い)きてるから、近(ちかづ)いたら飛(と)びついて、すぐ噛殺(かみころ)さないと逃(に)げられますよ、よござんすか。では、さよなら」
「どうも有難(ありがた)う、お孃(じやう)さん。いつかお禮(れい)はいたします」
あくる朝(あさ)のこと。
農夫(のうふ)が畑(はたけ)にきてみたら、大(おほ)きな土鼠(もぐら)がまんまと捕鼠器(ほそき)に掛(かゝ)つてゐました。
茶店のばあさん
崖(がけ)の上(うへ)の觀音樣(くわんのんさま)には茶店(ちやみせ)がありました。密柑(みかん)やたまご [#「たまご」に傍点]、駄菓子(だぐわし)なんどを並(なら)べて、參詣者(おまへりびと)の咽喉(のど)を澁茶(しぶちや)で濕(しめ)させてゐたそのおばあさんは、苦勞(くらう)しぬいて來(き)た人(ひと)でした。
ある日(ひ)、その店前(みせさき)へ一はの親雀(おやすゞめ)がきて
「いつも子(こ)ども等(ら)がきてはお世話(せわ)になります」
と丁寧(ていねい)にお禮(れい)をのべました。
おばあさんは不審(ふしん)さうな顏(かほ)をして
「いいえ。私(わたし)じやないでせう」と言(い)つた。それをきいて、側(そば)についてきてゐた子雀(こすゞめ)が「今朝(けさ)もお米(こめ)を頂(いたゞ)いてよ」
「私(わたし)に、そんなおぼえは無(な)い」
ほそい煙(けむり)こそ立(た)ててゐるが此(こ)のとしより [#「としより」に傍点]は正直(しやうじき)で、それに何(なに)かを决(けつ)して無駄(むだ)にしません。それで、パン屑(くづ)や米粒(こめつぶ)がよく雀(すゞめ)らへのおあいそにもなつたのでした。
その晩(ばん)のことです。
こつそりとおばあさんのゆめ [#「ゆめ」に傍点]に雀(すゞめ)がしのびこんで來(き)て、そして遠(とほ)くの遠(とほ)くの竹藪(たけやぶ)の、自分等(じぶんら)の雀(すゞめ)のお宿(やど)につれて行(い)つておばあさんをあつくあつく饗應(もてな)したといふことです。
烏を嘲ける唄
雀(すゞめ)が四五羽(は)で、凉(すゞ)しい樹蔭(こかげ)にあそんでゐると、そこへ烏(からす)がどこからか飛(と)んで來(き)ました。
そして「何(なに)してゐたんだ」
「お話(はなし)をしてゐたのよ。おもしろいお話(はなし)を」
「ふむむ。それでは一つ聽(き)いてやらうか」
「あんたがしなさいな、何(なに)か」
「俺(おれ)は話(はなし)なんか知(し)らない」
「そんなら
···
···
ねえ、唄(うた)つておくれよ、いい聲(こゑ)で」
「唄(うた)か。それも不得手(ふゑて)だ」
「まあ何(なん)にも出來(でき)ないの。ほんとにあんたは鶯(うぐひす)のやうな聲(こゑ)もないし、孔雀(くじやく)のやうな美(うつく)しい翼(はね)ももたないんだね」
怖(こわ)い目(め)をして烏(からす)がだまりこんだので、雀(すゞめ)らは高(たか)い松(まつ)の木(き)のうへへ逃(に)げながら
からす
からす
廣(ひろ)い世界(せかい)の
にくまれもの
けふも墓場(はかば)で啼(な)いてゐた
かあ、かあ
それをきくと烏(からす)は噴(ふ)き出(だ)さずにはゐられませんでした。
「へつ、此(こ)の弱蟲(よわむし)! そんなら貴樣(きさま)らには、何(なに)ができる。此(こ)の命知(いのちし)らず奴(め)!」そして肩(かた)をそびやかして睨視(にら)めつけました。
「おれは強(つよ)いぞ」
石芋
百姓(せう)のお上(かみ)さんが河端(かわばた)で芋(いも)を洗(あら)つてをりました。そこを通(とほ)りかけた乞食(こじき)のやうな坊(ぼう)さんがその芋(いも)をみて
「それを十ばかり施興(ほどこ)してください」と頼(たの)みました。「私(わたし)はお腹(なか)が空(す)いてゐるのだ」
お上(かみ)さんはちらと見上(みあ)げました。けれど腰(こし)も立(た)てませんでした。そして
「駄目々々(だめ/″\/″\)、これは食(た)べられません。石芋(いしいも)です」と、くれるのがいやさに、そう言(ゆ)つて嘘(うそ)を吐(つ)きました。
「はあ、さうですか」
坊(ぼう)さんは強(し)ひてとも言(ゆ)はず、それなり何處(どこ)へか掻(か)き消(け)すやうにゐなくなりました。芋(いも)がすつかり洗(あら)へたから、それをお上(かみ)さんは家(いへ)にもち歸(かへ)り、そしてお鍋(なべ)に入(い)れて煮(に)ました。しばらくして、もう煮(に)えたらうと一つ取出(とりだ)して囓(かぢ)つてみました。固(かた)い。まるで石(いし)のやうです。も少(すこ)したつて、また取出(とりだ)してみました。矢張(やつぱ)り固(かた)い。いくら煮(に)ても石(いし)のやうで食(た)べられません。お鍋(なべ)から出(だ)して、こんどは火(ひ)で燒(や)いてみました。不相變(あいかはらず)です。いよいよ固(かた)くなるばかりでした。
遂々(とう/\)、お上(かみ)さんは腹(はら)を立(た)てて、それをすつかり裏(うら)の竹藪(たけやぶ)にすてました。
すると芋(いも)が
「ざまあみやがれ、慾張(よくばり)めが。俺(おい)らが怒(おこ)つて固(かた)くなると、こんなもんだ」
その翌日(あくるひ)、こんな噂(うはさ)がぱつと立(た)ちました。昨日(きのふ)の乞食(こじき)のやうなあの坊(ぼう)さんは、あれは今(いま)、生佛(いきぼとけ)といはれてゐるお上人樣(しやうにんさま)だと。
お上(かみ)さんはぶつたまげてしまひました。けれど「あんなものをあげないで、よかつた」とおもひました。そして裏(うら)の竹藪(たけやぶ)にでてみますと、捨(す)てられたその芋(いも)は青々(あを/\)と芽をふいてゐるではありませんか。
おやこ
馬(うま)の母仔(おやこ)が百姓男(ひやくせうをとこ)にひかれて町(まち)へでかけました。母馬(おやうま)は大(おほ)きな荷物(にもつ)をせをつてゐました。
「かあちやん、何處(どこ)さ行(い)ぐの」
「町(まち)へさ」
「なんに行(い)ぐの」
「此(こ)の荷物(にもつ)をもつてよ」
「町(まち)つて、どこ」
「いま行(ゆ)けばわかるがね。おとなしくするんですよ。え」
やがて町(まち)につきました。仔馬(こうま)は賑(にぎや)かなのにはじめはびつくりしてゐましたが、何(なに)をみても珍(めづら)しい物(もの)ばかりなので、うれしくつてたまりませんでした。
「かあちやん、あれは何(なに)。あのぶうぶうつて驅(か)けて來(く)るのは」
「あれは自働車(じどうしや)つて言(い)ふものよ」
「そんなら、あれは。そらそこの家(いへ)の軒(のき)にぶら下(さが)つてゐるの」
「あれかい、賣藥(くすり)の看板(かんばん)さ」
「あれは。あのお山(やま)のやうな屋根(やね)は」
「お寺(てら)」
「あのがたがたしてゐる音(をと)は」
「米屋(こめや)で米(こめ)を搗(つ)いてるのさ。機械(きかい)の音(をと)だよ」
「そんなら、あれは
···
···
」
「もう知(し)らない。笑(わら)われるから、はやくお出(い)で」
「あああ、あんなものが來(き)た、黒(くれ)え煙(けむ)をふきだして
···
···
」
「よ、そらまた」
母馬(おやうま)は煩(うるさ)さにがつかりして歸路(きろ)につきました。町(まち)はづれまでくると、仔馬(こうま)は急(きふ)に歩(ある)きだしました。はやく家(いへ)へかへつてお乳(ちゝ)をねだらうとおもつて。
「早(はや)くさ、かあちやん。かあちやん、つてば。ぐずぐず道草(みちくさ)ばかり食(た)べてゐて」
けれど憐(あは)れな母馬(おやうま)はもう酷(ひど)く疲(つか)れてゐるのでした。
月(つき)がでました。
ほろゑひきげんの百姓男(ひやくせうをとこ)、今(いま)はすつかり善人(ぜんにん)になつて、叱言(こごと)を一つ言(い)ひません。
「あれ、あれ、お家(うち)の灯(あかり)がみへる。もうすぐだよ。母(かあ)ちやん」
木と木
老木(らうぼく)
「こんなに年老(としよ)るまで、自分(じぶん)は此(こ)の梢(こづゑ)で、どんなにお前のために雨(あめ)や風(かぜ)をふせぎ、それと戰(たゝか)つたか知(し)れない。そしてお前(まへ)は成長(せいちやう)したんだ」
若(わか)い木(き)
「それがいまでは唯(たゞ)、日光(につくわう)を遮(さえぎ)るばかりなんだから、やりきれない」
家鴨の子
家鴨(あひる)の子(こ)が田圃(たんぼ)であそんでゐると、そこをとほりかかつた雁(がん)が
「おうい、おいらと行(い)がねえか」
「どこへさ」
「む、どこつて、おいらの故郷(こきやう)へよ。おもしろいことが澤山(たんと)あるぜ。それからお美味(いし)いものも
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」
「ほんとかえ」
「ほんとだとも」
「そんならつれていつておくれ」
「いいとも、けれど飛(と)べるか」
家鴨(あひる)に天空(そら)がどうして飛(と)べませう。それども一生懸命(いつしやうけんめい)とびあがらうとして飛(と)んでみたが、どうしても駄目(だめ)なので泣(な)きだし、泣(な)きながら小舎(こや)にかへりました。
雁(がん)はわらつて行(い)つてしまひました。
小舎(こや)に歸(かへ)つてからもなほ、大聲(おほごゑ)で泣(な)きながら「おつかあ、おいらは何(なん)で、あの雁(がん)のやうに飛(と)べねえだ。おいらにもあんないい翼(はね)をつけてくんろよ」
親(おや)あひる [#「あひる」に傍点]はそつぽを向(む)いて聞(きこ)えないふりをしてゐたが、眼(め)には涙(なみだ)が一ぱいでした。
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「都會と田園」より
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雜魚の祈り
ながらく旱(ひでり)が續(つゞ)いたので、沼(ぬま)の水(みづ)が涸(か)れさうになつてきました。雜魚(ざこ)どもは心配(しんぱい)して山(やま)の神樣(かみさま)に、雨(あめ)のふるまでの斷食(だんじき)をちかつて、熱心(ねつしん)に祈(いの)りました。
神樣(かみさま)はその祈(いの)りをきかれたのか。雨(あめ)がふりました。
沼(ぬま)の干(ひ)てしまはないうちに雨(あめ)はふりましたが、その雨(あめ)のふらないうちに雜魚(ざこ)はみんな餓死(がし)しました。
森の老木
お宮(みや)の森(もり)にはたくさんの老木(らうぼく)がありました。大方(おほかた)それは松(まつ)でした。山(やま)の上(うへ)の高(たか)みからあたりを睨望(みをろ)して、そしていつも何(なん)とかかとか口喧(くちやかま)しく言(い)つてゐました。暑(あつ)ければ、暑(あつ)い。寒(さむ)ければ、また寒(さむ)いと。
小賢(こざか)しい鴉(からす)はそれをよく知(し)つてゐました。それだから、その頭(あたま)や肩(かた)の上(うへ)で、ちよつと翼(はね)を休(やす)めたり。或(あるひ)は一夜(よ)の宿(やど)をたのまうとでもすると、まづ
「何(なん)て天氣(てんき)でせう。かう毎日々々(まいにち/\/\)、打續(ぶつつゞ)けのお照(て)りと來(き)ちやなんぼなんでもたまつたもんぢやありませんやねえ」
また、ちやうど雨(あめ)でも降(ふ)つてゐるなら
「困(こま)つた雨(あめ)じやありませんか。これじや膓(はらわた)の中(なか)まで、すつかり、びしよ腐(ぐさ)れですよ」
老木(らうぼく)はそれを聽(き)くと
「そうだとも、そうだとも。こりや一つ何(なん)とかせにあなるめえ」その癖(くせ)、何(なに)一つ爲(し)たことはないのです。唯(たゞ)、喋舌(しやべ)るばかりです。爲(し)たくも出來(でき)ないんでせう。もう根(ね)が深(ふか)くはりすぎてゐて身動(みうご)きもならないやうになつてしまつてゐるのですもの。
鴉(からす)は、けれど心(こゝろ)の中(なか)では赤(あか)い舌(した)をぺろりとだして
「こいつあ、人間(にんげん)のある者(もの)によく似(に)てけつかる。それも善(い)い事(こと)ならいいが、ろくでもねえところなんだから、堪(たま)らねえ」
鴉と田螺
麗(うらら)かな春(はる)の日永(ひなが)を、穴(あな)から這(は)ひだした田螺(たにし)がたんぼで晝寢(ひるね)をしてゐました。それを鴉(からす)がみつけてやつて來(き)ました。海岸(かいがん)で、鳶(とび)と喧嘩(けんくわ)をして負(ま)けたくやしさ、くやしまぎれに物(もの)をもゆはず、飛(と)びをりてきて、いきなり強(つよ)くこつんと一つ突衝(つゝ)きました。
「あ痛(いた)!」
こつん、こつん、こつんとつゞけざまの慘酷(むごたら)しさ。
「いたいよう。ごめんなさいよう」とあげる田螺(たにし)の悲鳴(ひめい)。それを藪(やぶ)にゐた四十雀(から)がききつけて
「まあ兄(にい)さん、何(なに)をするんです。そんな酷(ひど)い目(め)にあはせるなんて、われもひとも生きもんだ [#「われもひとも生きもんだ」に傍点]、つてこともあるじやありませんか」
すると鴉(からす)が
「なんだと、えツ、やかましいわい。此(こ)のおしやべり小僧(こぞう)め!」
「でもね、われもひとも生きもんだ [#「われもひとも生きもんだ」に傍点]、つてことが
···
···
」
「ええ、うるせえ」と云(い)ふよりはやく飛(と)び掛(かゝ)りました。けれど四十雀(から)はもうどこにも見(み)えません。ちええ。そればかりか、折角(せつかく)のごちさう [#「ごちさう」に傍点]はとみれば、その間(あひだ)に、これはまんまと、穴(あな)へ逃(に)げこんでしまつてゐるのです。そして穴(あな)の口(くち)から頭(あたま)をだして
「おい、ここだよ」
仲善し
馬方(うまかた)と馬方(うまかた)が喧嘩(けんくわ)をはじめました。砂(すな)ツぽこりの大道(だいどう)の地(ぢ)べたで、上(うへ)になつたり下(した)になつたり、まるであんこ [#「あんこ」に傍点]の中(なか)の團子(だんご)のやうに。そして双方(そうほう)とも、泥(どろ)だらけになり、やがて血(ち)までがだらだら流(なが)れ出(だ)しました。
一人(ひとり)の方(ほう)の馬(うま)が「またはじまりましたね」と言(い)ふと
他(ほか)の馬(うま)「ええ。いい見物(みもの)ですよ」
「あれで、これでも萬物(ばんぶつ)の靈長(れいちやう)だなんて威張(ゐば)るんですよ、時々(とき/″\)」
「私達(わたしたち)のことを、ほんとに、畜生(ちくしやう)もないもんだ」
「わたしや、氣(き)が附(つ)かなかつたが一體(たい)、今日(けふ)のは何(なに)からですね」
「きかねえんですか。のんだ酒(さけ)の勘定(かんじやう)からですよ。去年(きよねん)の盆(ぼん)に一どお前(まへ)におごつたことがあるから、けふのは拂(はら)へと、あののんだくれ [#「のんだくれ」に傍点]の俺(わし)の奴(やつ)が言(ゆ)ふんです。するとあんたの方(はう)も方(はう)ですわねえ。うむ、そんなら貴樣(きさま)がこないだ途中(とちう)で、南京米(なんきんまい)をぬき盗(と)つたのを巡査(じゆんさ)に告(つ)げるがいいかと言(ゆ)ふんです」
「へええ。何(なん)て圖々(づう/″\)しいんでせうね」そうして半(なか)ば獨白(ひとりごと)のやうに「自分(じぶん)でこそ毎日(まいにち)のやうにやつてる癖(くせ)に」
「人間(にんげん)つて、みんなこんなんでせうか」
「さあ」
「それはさうとなかなか長(なが)いね」
「どうでせう、あの態(ざま)は」
喧嘩(けんくわ)はすぐには止(や)みませんでした。
馬(うま)と馬(うま)は仲善(なかよ)く、鼻(はな)をならべて路傍(みちばた)の草(くさ)を噛(か)みながら、二人(ふたり)が半死半生(はんしはんしやう)で各自(てんで)の荷馬車(にばしや)に這(は)ひあがり、なほ毒舌(どくぐち)を吐(は)きあつて、西(にし)と東(ひがし)へわかれるまで、こんな話(はなし)をしてゐました。
「さようなら」
「では、御機嫌(ごきげん)よう」
それをみてゐた大空(おほぞら)の鳶(とんび)が
「これがほんとに人間(にんげん)以上(いじやう)、馬(うま)以下(いか)つて言(ゆ)ふんだ。ぴいひよろ」と長(なが)いながい欠伸(あくび)をしました。
動物園
動物園(どうぶつゑん)には澤山(たくさん)の動物(どうぶつ)がゐました。
勘察加産(カムチヤツカさん)の白熊(しろくま)がある夏(なつ)の日(ひ)のこと、水(みづ)から上(あが)り、それでも汗(あせ)をだらだら流(なが)しながら
「どうです、象(ぞう)さん。暑(あつ)いぢやありませんか」と聲(こゑ)をかけました。
象(ぞう)が
「えつ、何(なん)ですつて、わしはこれでも寒(さむ)いぐらゐなんだ、熊(くま)さん。いまぢあ、すこし慣(な)れやしたがね、此處(こゝ)へはじめて南洋(なんやう)から來(き)たときあ、まだ殘暑(ざんしよ)の頃(ころ)だつたがそれでも、毎日々々(まいにち/\/\)、ぶるぶる震(ふる)えてゐましただよ」
「へええ」
季節(とき)の推移(うつりかわり)は、やがて冬(ふゆ)となり、雪(ゆき)さえちらちら降(ふ)りはじめました。
ある朝(あさ)、こんどは象(ぞう)が
「熊(くま)さん、どうです、今日(けふ)あたりは。雪(ゆき)の唄(うた)でもうたつておくれ。わしあ、氷(こほり)の塊(かたまり)にでもならなけりやいいがと心配(しんぱい)でなんねえだ」
「折角(せつかく)、お大事(だいじ)になせえよ。俺(おい)らは、これでやつと蘇生(いきかへ)つた譯(わけ)さ。まるで火炮(ひあぶ)りにでもなつてゐるやうだつたんでね」
「ふむむ」
「象(ぞう)さんよ」
「え」
「何(なん)の因果(いんぐわ)だらうね、おたがいに」
「何(なに)がさ」
「何(なに)がつて、こんなところに何(なに)か惡(わる)いことでもした人間(にんげん)のやうに、誰(だれ)をみても、かうして鐵(てつ)の格子(かうし)か、そうでなければ金網(かなあみ)や木柵(もくさく)、石室(いしむろ)、板圍(いたがこい)なんどの中(なか)に閉込(とぢこ)められてさ、その上(うへ)あんたなんかは御丁寧(ごていねい)に年(ねん)が年中(ねんぢう)、足首(あしくび)に重(おも)い鐵鎖(くさり)まで篏(は)められてるんだ」
「熊(くま)さん」
「なんだえ」
「ほんとに情無(なさけね)えよ。わしあ。國(くに)には親兄弟(おやけうだい)もあるんだが、父親(おやぢ)はもう年老(としより)だつたから、死(し)んだかも知(し)れねえ」
「わしもさ、晝間(ひるま)はそれでも見物人(けんぶつにん)にまぎれてわすれてゐるが、夜(よる)はしみじみと考(かんが)えるよ。嬶(かゝあ)や子(こ)ども等(ら)のことを
···
···
どうしてゐるかと思(おも)つてね」
仲善(なかよ)しの象(ぞう)と熊(くま)とは、折(をり)ふし、こんな悲(かな)しい話(はなし)をしてはおたがひの身(み)の不幸(ふしあはせ)を嘆(なげ)きました。
他(ほか)の動物(どうぶつ)も、みんな同(おな)じやうに泣(な)いてばかりゐました。實(げ)に、動物園(どうぶつゑん)は動物(どうぶつ)の監獄(かんごく)でありました。
唯(たゞ)、狡猾(ずる)い猿(さる)だけは、こうして毎日(まいにち)何(なん)の仕事(しごと)もなく、ごろごろと惰(なま)けてゐても、それでお腹(なか)も空(す)かさないでゆかれるので、暢氣(のんき)な顏(かほ)をして、人間(にんげん)の子どもらの玩弄品(おもちや)になつて、いつもきやツきやツと騷(さわ)いでゐました。
頬白鳥
ものぐさ百姓(ひゃくせう)がある朝(あさ)、めづらしく早起(はやお)きして、畑(はたけ)で種蒔(たねま)きをしてゐました。それを頬白鳥(ほゝじろ)がみつけて
「おぢさん、今日(こんにち)は」といひました。
百姓(ひゃくせう)はねむそうな眼(め)を上(あ)げてみました。
「おお、誰(だれ)かとおもつたらお前(めえ)かえ。お前(めえ)さんもはやいね」
「え、おぢさん、これが早(はや)いんですつて。わたしはもう百(ひゃく)ぺんも歌(うた)ひましたよ。」
すこし憤(むつ)とした百姓(ひゃくせう)
「それがどうしたと云(ゆ)ふんだ」
「何(なん)でもありませんよ。たゞね、私(わたし)はおさきへ失禮(しつれい)して、これからお茶(ちや)でも嚥(の)まうとしてるんです」
瓜畑のこと
「しつ! そら來(き)た」
いままで、ごろごろとのんきにころがつて罪(つみ)のない世間話(せけんばなし)をしてゐた瓜(うり)が、一齊(せい)にぴたりとその話(はなし)をやめて、息(いき)を殺(ころ)しました。みんな、そして眠(ねむ)つた眞擬(ふり)をしてゐました。
お媼(ばあ)さんは、今日(けふ)もうれしさうに畑(はたけ)を見廻(みまは)して甘味(うま)さうに熟(じゆく)した大(おほ)きい奴(やつ)を一つ、庖丁(ほうてう)でちよん切(ぎ)り、さて、さも大事(だいじ)さうにそれを抱(かゝ)えてかえつて行(ゆ)きました。すると、また話(はなし)がひそひそと遠近(をちこち)ではじまりました。
彼方(あちら)で
「なかなか暑(あつ)くなつて來(き)たね」
こちらで
「ええ。そろそろとお互(たがひ)の生命(いのち)もさきが短(みじか)くなるばかりさ」
「何(なに)つ! けふも誰(だれ)か殺(や)られたつて」
どこかで、鼻唄(はなうた)をうたつてゐる者(もの)があります。そうかと思(おも)ふと「誰(だれ)なの、そこでしくしく泣(な)いてゐるのは」
「あんまりくよくよするもんでねえだ」
「ふむ。べら棒(ぼう)め」
「南無阿彌陀佛(なむあみだぶつ)。南無阿彌陀佛(なむあみだぶつ)」
蟹
子蟹(こがに)の這(は)つてゐるのをみてゐた親蟹(おやがに)は苦(にが)い顏(かほ)をして言(い)ひました。
「それはまあ、何(なん)てあるき方(かた)なんだい。みつともない」
「どんなにあるくの」
「眞直(まつすぐ)にさ」
從順(すなほ)な子蟹(こがに)はおしへられたやうに試(こゝろ)みました。けれどどうしても駄目(だめ)でした。で
「あるいてみせておくれよ」
「よし、よし。かうあるくもんだ」
親蟹(おやがに)は歩(ある)きだしました。すると、こんどは子蟹(こがに)が腹(はら)をかかえて噴出(ふきだ)しました。
「それじや矢張(やつぱ)り、横(よこ)だあ」
蛙
お池(いけ)のきれいな藻(も)の中(なか)へ、女蛙(をんなかへる)が子(こ)をうみました。男蛙(をとこかへる)がそれをみて、俺(おれ)のかかあ [#「かかあ」に傍点]は水晶(すいしやう)の玉(たま)をうんだと躍(おど)り上(あが)つて喜(よろこ)びました。
それがだんだんかわつて尾(を)が出(で)てきました。おたまじやくしになつたのです。男蛙(をとこかへる)はそれをみると氣狂(きちが)ひのやうになつて怒(おこ)りだしました。鯰(なまづ)の子(こ)をうんだとおもつたのです。
遂々(とう/\)、變(かわ)りにかわつて、足(あし)ができ、しつぽが切(き)れて、小(ちひ)さいけれど立派(りつぱ)な蛙(かへる)になりました。男蛙(をとこかへる)はしみじみとその子(こ)を眺(なが)めて、なあんだ、どんなに偉(えら)い奴(やつ)がうまれるかと思(おも)つたら、やつぱり普通(あたりまへ)の蛙(かへる)かと、ぶつぶつ愚痴(ぐち)をこぼしました。
(「おとぎの世界」募集童謠より)
風
「なんてけち [#「けち」に傍点]な風(かぜ)だらう。吹(ふ)くなら吹(ふ)くらしくふけばいいんだ。此(こ)の暑(あつ)いのに。みてくんな、此(こ)の汗(あせ)を。どうだいまるで流(なが)れるやうだ」
風鈴(ふうりん)がねぼけたやうにちりりん [#「ちりりん」に傍点]と、そのとき搖(ゆ)れました。
「ほんとにねえ。これぢや、いい風(かぜ)ですとも言(ゆ)はれませんよ。まつたく」
ちらとそれをきいて風(かぜ)は憤(むつ)としました。「此(こ)の意氣地(いくぢ)なしども! そんなら一昨年(おととし)の二百十日(か)のやうに、また一と泡(あわ)吹(ふ)かしてくれやうか」と怒鳴(どな)りつけやうとは思(おも)つたが、何(なに)をいふにも相手(あひて)はたか [#「たか」に傍点]のしれた人間(にんげん)だとおもひ直(なほ)して、だまつて大股(おほまた)に、あとをも見(み)ず、廣々(ひろ/″\)とした野山(のやま)の方(はう)へ行(い)つてしまひました。
馬
こげつくやうな熱(あつ)い日(ひ)でした。
村(むら)の酒屋(さかや)の店前(みせさき)までくると、馬方(うまかた)は馬(うま)をとめました。いつものやうに、そしてにこにことそこに入(はい)り、どつかりと腰(こし)を下(をろ)して冷酒(ひやざけ)の大(おほ)きな杯(こつぷ)を甘味(うま)さうに傾(かたむ)けはじめました。一杯(ぱい)一杯(ぱい)また一杯(ぱい)。これから腹(はら)がだぶだぶになるまで呑(の)むのです。そして眠(ねむ)くなると、虹(にじ)でも吐(は)くやうなをくび [#「をくび」に傍点]を一つして、ごろりと横(よこ)になるのです。と雷(かみなり)のやうな鼾(いびき)です。
荷馬車(にばしや)は重(をも)い。山(やま)のやうな荷物(にもつ)です。
この炎天(えんてん)にさらされて、行(ゆ)くこともならず、還(かへ)りもされず、むなしく、馬(うま)はのんだくれ [#「のんだくれ」に傍点]の何時(いつ)だか知(し)れない眼覺(めざ)めをまつて尻尾(しつぽ)で虻(あぶ)や蠅(はひ)とたわむれながら、考(かんが)へました。かんがへるとしみじみ悲(かな)しくなりました。
「なんといふ一生(しやう)だらう。こうして荷馬車(にばしゃ)を朝(あさ)から晩(ばん)まで輓(ひ)くために、私(わたし)の親(おや)は私(わたし)をうんだのでもなからうに。自分(じぶん)の子(こ)がこんな目(め)に遇(あ)つてゐるのをみたら、人間(にんげん)ならなんと云(い)ふだらう」
馬(うま)はこのまんま、消(き)えるやうに死(し)にたいと思(おも)ひました。死(し)んで、そして何處(どこ)かで、びつくりして自分(じぶん)に泣(な)いてわびる無情(むじやう)な主人(しゅじん)がみてやりたいと思(おも)ひました。
けれど直(す)ぐまた思(おも)ひなほしました。
「お互(たがひ)に、明日(あす)の生命(いのち)もしれない、はかない生(い)き物(もの)なんだ。何(なん)でも出來(でき)るうちに爲(す)る方(はう)がいいし、また、やらせることだ」と。
蚊
蚊(か)が一ぴきある晩(ばん)、蚊帳(かや)の中(なか)にまぐれこみました。みんな寢靜(ねしづ)まると
「どうだい、これは、自分(じぶん)はまあ何(なん)といふ幸福者(しあはせもの)だらう。こんやは、それこそ思(おも)ふ存分(ぞんぶん)、腹(はら)一杯(ぱい)うまい生血(いきち)にありつける譯(わけ)だ」
そして外(そと)の友(とも)だちに囁(ささや)いた。
「うらやましからう。だが、これは天祐(てんゆう)といふもので、いくら自分(じぶん)が君達(きみたち)をいれてあげやうとしたところで駄目(だめ)なんだ」
そこには可愛(かあい)らしい肉附(にくづき)の、むつちり肥(ふと)つたあかんぼ [#「あかんぼ」に傍点]が母親(はゝおや)に抱(だ)かれて、すやすやと眠(ねむ)つてゐました。その頬(ほ)つぺたに蚊(か)が吸(す)ひつくと、あかんぼ [#「あかんぼ」に傍点]は目(め)をさまして泣(な)きだしました。と、ぱちツ! 手(て)で打(う)つ大(おほ)きな音(をと)がしました。
ぷうんと蚊(か)は、やつと逃(に)げるには逃(に)げたが、もう此(こ)の狭(せま)い蚊帳(かや)の中(なか)がおそろしくつて、おそろしくつてたまらなくなりました。
その時(とき)、電燈(でんとう)の笠(かさ)にとまつてゐた黄金蟲(こがねむし)が豫言者(よげんしや)らしい口調(くちやう)で、こんなことを言(い)ひました。
「馬鹿(ばか)な奴(やつ)らだ。もう秋風(あきかぜ)も立(た)つたじやないか、飢(う)ゑるも飽(あ)くも、それがどうした。運命(うんめい)はみんな一つだ」
蚤
一ぴきの蚤(のみ)が眞蒼(まつさを)になつて、疊(たゝ)の敷合(しきあは)せの、ごみの中(なか)へ逃(に)げこみました。そしてぱつたりとそこへ倒(たふ)れました。
晝寢(ひるね)をしてゐた友(とも)だちはびつくりして
「おい、どうしたんだい」と、その周圍(まはり)に集(あつま)りました。「またか。晝稼(ひるかせ)ぎになんかに出(で)るからさ。しつかりしろ、しつかりしろ」
その中(なか)で年嵩(としかさ)らしいのが
「でもまあ無事(ぶじ)でよかつた。人間(にんげん)め! もうどれほど俺達(おれたち)の仲間(なかま)を殺(ころ)しやがつたか。これを不倶戴天(ふぐたいてん)の敵(てき)とゆはねえで、何(なに)を言(ゆ)ふんだ。此(こ)の世(よ)はおろか、此(こ)のかたき [#「かたき」に傍点]は、生(うま)れかはつて打(う)たなけりやならねえ」
すると他(ほか)のが
「生れかはるつて、何(なに)にさ」
「人間(にんげん)によ」
「そんなら人間(にんげん)は」
「きまつてるじやねえか、蚤(のみ)さ」
その時(とき)、女(をんな)の聲(こゑ)
「ちえツ、いまいましいつたらありやしない。また。捕逃(とりに)がしてよ。あなたがぼんやりしてゐるんだもの」
やがて呼吸(いき)をふき返(か)へしたその蚤(のみ)
「おお、すんでのところ。小(ちつ)ぽけでも、たつた一つきやねえ生命(いのち)だ。危(あぶな)い。あぶない」
蝉は言ふ
富豪(ものもち)の家(いへ)では蟲干(むしぼし)で、大(おほ)きな邸宅(やしき)はどの部屋(へや)も一ぱい、それが庭(には)まであふれだして緑(みどり)の木木(きゞ)の間(あひだ)には色樣々(いろさま/″\)の高價(かうか)なきもの [#「きもの」に傍点]が匂(にほ)ひかがやいてゐました。
その中(なか)でもとりわけ立派(りつぱ)な總縫模樣(そうぬいもやう)の晴着(はれぎ)がちらと、塀(へい)の隙(すき)から、貧乏(びんぼう)な隣家(となり)のうらに干(ほ)してある洗晒(あらひざら)しの、ところどころあてつぎ [#「あてつぎ」に傍点]などもある單衣(ひとへもの)をみて
「みな樣(さま)、まあご覧(らん)遊(あそ)ばせ、あれを。あれでも着物(きもの)と申(まを)すのでせうか。あれと私達(わたしたち)とは何(なん)の關係(くわんけい)も無(な)いやうなものの、あれも着物(きもの)、私達(わたしたち)お互(たがひ)も着物(きもの)、何(なん)となく世間(せけん)に對(たい)して、私(わたし)は氣耻(きはづか)しいやうでなりませんのよ」
「何(なん)だと」それを聽(き)かれたから、たまりません
「も一ぺんほざいて見(み)ろ。そのままにやしておかねえぞ、此(こ)の虚榮(きよえい)の塊(かたまり)め! 貧乏(びんぼう)がどうしたつてんだ。こうみえてもまだ貴樣等(きさまら)の臺所(だいどころ)の土間(どま)におすはりして、おあまりを頂戴(ちやうだい)したこたあ、唯(たゞ)の一どだつてねえんだ。餘(あんま)り大(おほ)きな口(くち)を叩(たゝ)きあがると、おい、暗(くれ)え晩(ばん)はきをつけろよ」
これはまた落雷(らくらい)のやうな聲(こゑ)でした。さつきから啼(な)くのをやめて、どんなことになるかとはらはらしながらきいてゐた蝉(せみ)の哲學者(てつがくしや)、附近(あたり)がもとの靜穩(しづかさ)にかへると
「どうも此(こ)の喧嘩(けんくわ)は解(わか)らない。晴着(はれぎ)は晴着(はれぎ)でよいではないか。また、單衣(ひとへもの)は單衣(ひとへもの)でよいではないか。晴着(はれぎ)は晴着(はれぎ)。單衣(ひとへもの)は單衣(ひとへもの)。晴着(はれぎ)がいくら立派(りつぱ)でも單衣(ひとへもの)の役(やく)には立(た)たない。單衣(ひとへもの)もそうだ。晴着(はれぎ)の場所(ばしよ)へは向(む)かない。これは彼(かれ)を蔑(さげす)み、彼(かれ)はこれを憤(いきどほ)る。こんなことが、一體(たい)あつてよいものか」
そして最後(さいご)につくづく感服(かんぷく)したらしくつけ加(くは)へました。
「“Know thyself”(汝(なんぢ)自身(じしん)を知(し)れ)とは、まことに千古(こ)の金言(きんげん)だ」
耳を切つた兎
山(やま)の兎(うさぎ)がふもとの村(むら)のお祭(まつ)りにでかけました。おしやれな娘兎(むすめうさぎ)のこととて、でかけるまでには谿川(たにがは)へ下(を)りて顏(かほ)をながめたり、からだ中(ぢう)の毛(け)を一本(ぽん)一本(ぽん)、綺麗(きれい)に草(くさ)で撫(な)でつけたり、稍(やゝ)、半日(はんにち)もかかりました。
「何(なん)てまあ、いい毛(け)だらう」と、それを第(だい)一に見(み)つけた猫(ねこ)が羨(うらや)ましさうに、まづ賞(ほ)めました。犬(いぬ)も狐(きつね)も野鼠(のねづみ)も、みな
「ほんとにねえ」と同意(どうい)しました。
兎(うさぎ)はうれしくつてたまりませんでした。すると猫(ねこ)がまた
「けれど、どうも耳(みゝ)が長過(ながす)ぎるね」と、つくづくみてゐて批評(ひひやう)しました。
それをきくと
「ほんとに、そう言(ゆ)はれてみると、そうだ」一同(どう)は口(くち)を揃(そろ)えていひました。
兎(うさぎ)は、はつと思(おも)ひました。そしてみんなの耳(みゝ)をみました。それから自分(じぶん)のを手(て)で觸(さは)つてみました。なるほど長(なが)い!
そこで早速(さつそく)、理髪店(とこや)に行(い)つてその耳(みゝ)を根元(ねもと)からぷつりと切(き)つて貰(もら)ひました。おもてへ出(で)ると指(ゆびさ)して、逢(あ)ふもの毎(ごと)に笑(わら)ふのです。
「おや、耳(みゝ)のない兎(うさぎ)」
「何(なん)といふ不具(かたわ)でせうね」
もうお祭(まつ)りどころではありません。いそいで、泣(な)きながら山(やま)へ歸(かへ)りました。
山(やま)へ歸(かへ)ると、親兄弟(おやきやうだい)は勿論(もちろん)、友(とも)だちも驚(おどろ)いてしまひました。そしてかわいさうに此(こ)の兎(うさぎ)は一生(しやう)の笑(わら)はれ者(もの)となりました。
運ばれる豚
いつも物置(ものおき)の後(うしろ)の、汚(きたな)い小舎(こや)の中(なか)にばかりゐた豚(ぶた)が、或(あ)る日(ひ)、荷車(くるま)にのせられました。
此(こ)の豚(ぶた)は夢想家(むさうか)でした。
「なんと言(い)ふことだ。天氣(てんき)は上等(じやうとう)、此(こ)のとほりの青空(あをぞら)だ。かうして自分(じぶん)は荷車(にぐるま)にのせられ、その上(うへ)にこれはまた他(ほか)の獸等(けものら)に意地(いぢ)められないやうに、用意周到(よういしうとう)なこの駕籠(かご)。さすがは人間(にんげん)だ、すこし窮屈(きうくつ)は窮屈(きうくつ)だが、それも風流(ふうりゆう)でおもしろいや。や、海(うみ)がみえるぞ、や、や、船(ふね)だ船(ふね)だ。なんといふことだ。子(こ)ども等(ら)もつれてくるんだつけな。どんなによろこぶだらう、お、お、電車(でんしや)、活動寫眞(くわつどう)の樂隊(がくたい)。とうとう町(まち)へ來(き)たんだな。えツ、ほんとに嬶(かゝあ)や子(こ)ども等(ら)をつれてくるんだつたに。あれ、向(むか)ふにみへるのは何(なん)だ。王樣(わうさま)の御殿(ごてん)かもしれねえ、自分(じぶん)はあそこへ行(ゆ)くのだらう。きつと王樣(わうさま)が自分(じぶん)をお召(め)しになつたんだ。お目(め)に懸(かゝ)つたら何(なに)を第(だい)一に言(ゆ)はう。そうだ。自分(じぶん)の主人(しゆじん)は慾張(よくばり)で、ろくなものを自分(じぶん)にも自分(じぶん)の子(こ)ども等(ら)にも食(た)べさせません、よく王樣(わうさま)の御威嚴(ごゐげん)をもつて叱(しか)つて頂(いたゞ)きたい。と、それから次(つぎ)には
···
···
」
かたりと荷車(にぐるま)がとまりました。豚(ぶた)は、はつとわれ [#「われ」に傍点]にかへつてみあげました。そこには縣立(けんりつ)畜獸(ちくじう)屠殺所(とさつじよ)といふ大(おほ)きな看板(かんばん)が掛(かゝ)かつてゐました。
虻の一生
かんかん日(ひ)の照(て)る炎天(えんてん)につツ立(た)つて、牛(うし)がなにか考(かんが)えごとをしてゐました。虻(あぶ)がどこからかとんできて、ぶんぶんその周圍(まはり)をめぐつて騷(さわ)いでゐました。
あまり喧(やかま)しいので、さすがに忍耐(にんたい)強(づよ)い牛(うし)も我慢(がまん)がし切(き)れなくなつたと見(み)え
「うるせえ、ちと彼方(あつち)へ行(い)つててくれ」と言(い)ひました。虻(あぶ)のやんちやん、そんなことは耳(みゝ)にもいれず、ますます蠅(はひ)などまで呼集(よびあつ)めて飛(と)び廻(まは)つてゐました。
「うるせえツたら」
「え」
「ちつと何處(どこ)へか行(い)つててくれよ」
「何(なん)で」
「うるせえから」
「はい、はい」
けれど仲々(なか/\)、行(ゆ)かうとはしません。
「はやく行(い)げ」
「行(ゆ)きますよ。だがね、おぢさん、此處(こゝ)はあんたばかりの世界(せかい)ぢやありませんよ」
「それはさうだ」
「そんなら、そんなに、がみがみゆはないつたつていいでせう。そうじやないですか」
牛(うし)はだまりこみました。虻(あぶ)はあいかわらず。そして酷(ひど)く相手(あひて)の腹(はら)をたてました。
も一ど、それでも牛(うし)は
「お願(ねが)ひだから、靜(しづか)にしてゐてくんな」と頼(たの)みました。靜(しづ)かになつたやうでした。すると、こんどは虻(あぶ)の奴(やつ)、銀(ぎん)の手槍(てやり)でちくりちくりと處(ところ)嫌(きら)はず、肥太(こえふと)つた牛(うし)の體(からだ)を刺(さ)しはじめました。
堪忍嚢(かんにんぶくろ)の緒(を)は切(き)れました。それでも強(つよ)い角(つの)をつかうほどでもありません。
ぴゆツと一とふり尻尾(しつぽ)をふると、びちやりと大(おほ)きな腹(はら)の上(うへ)で、めちやめちやに潰(つぶ)れて死(し)んでしまひました。
虻(あぶ)は生(うま)れてまだ幾日(いくにち)にもなりませんでした。
そしてこれがその短(みぢか)い一生(しやう)でした。
泥棒
泥棒(どろぼう)が監獄(かんごく)をやぶつて逃(に)げました。月(つき)の光(ひかり)をたよりにして、山(やま)の山(やま)の山奥(やまおく)の、やつと深(ふか)い谿間(たにま)にかくれました。普通(なみ)、大抵(たいてい)の骨折(ほねを)りではありませんでした。そこで綿(わた)のやうに疲勞(つか)れて眠(ねむ)りにつきました。草(くさ)を敷(し)き、石(いし)を枕(まくら)にして、そしてぐつすりと。
朝(あさ)。
神樣(かみさま)がそれを御覧(ごらん)になりました。これは、なんといふ瘻(やつ)れた寢顏(ねがほ)だらう。
「おお、わが子(こ)よ」と仰(おほ)せられて、人間(にんげん)どもの知(し)らない聖(きよ)い尊(たつと)いなみだをほろりと落(おと)されました。
それをみてゐた朝起(あさお)きのひたき [#「ひたき」に傍点]も、おもはず貰(もら)ひ泣(な)きをいたしました。
星の國
山(やま)の中(なか)に古池(ふるいけ)がありました。そこに蛙(かへる)の一族(ぞく)が何不自由(なにふじいう)なく暮(く)らして、住(す)んでをりました。
あるとき木菟(みゝずく)が水(みづ)をのみにきて、その蛙(かへる)の一ぴきに逢(あ)ひました。
「やあ、しばらくだね、蛙君(かへるくん)」
「木菟(みゝづく)さんか、何處(どこ)へ行(い)つてゐたんです」
「あんまり一つ所(どころ)も飽(あ)きたんで、あれから方々(はう/″\)、飛(と)び廻(まは)つてきたよ」
「へえ」
「何(なに)かおもしろい話(はなし)でもないかい」
「それは俺(わし)の方(ほう)からいふ言葉(ことば)でさあ。こうして此處(こゝ)で生(うま)れて此處(こゝ)でまた死(し)ぬ俺等(わしら)です。一つ旅(たび)の土産(みやげ)はなしでもきかせてくれませんか」
「とりわけてこれと云(い)ふ
···
···
何處(どこ)もみんな同(おんな)じですがね。
···
···
だが、あの星(ほし)の國(くに)へあそびに行(い)つて、宵(よひ)のうつくしい明星樣(めうじやうさま)にもてなされたのだけは、おらが一生(しやう)一代(だい)の光榮(くわうえい)さ」
と、蛙(かへる)がそれを遮(さへぎ)つて
「俺(わし)がいくら世間見(せけんみ)ずだと言(い)つて、出鱈目(でたらめ)はごめんですよ」
「何(なに)が出鱈目(でたらめ)だい」
「何(なに)がつて、あんたにや水潜(みづもぐ)りはできめえ。星(ほし)の國(くに)はね。此(こ)の池(いけ)の水底(みづそこ)にあるんですぜ」
「え」
「それでも嘘(うそ)でねえと云(い)ふんですか」
すると木菟(みゝづく)が
「蛙君(かへるくん)、きみはまあ何(なに)をゆつてるんだ。星(ほし)の國(くに)は、こうした樹(き)の上(うへ)の、そのもつと高(たか)いたかあいところにある天空(そら)なんだよ」
「そんなら二つあるのかね」
「二つなもんか、その天空(そら)にあるツきりさ」
「そんなことがあつてたまるもんか」
「馬鹿(ばか)だなあ」
「どつちが」
どつちもその所信(しよしん)を棄(す)てません。そのうちに、とつぷりと日(ひ)がくれて、月(つき)がでました。星(ほし)もでました。
蛙(かえる)が口惜(くや)しがつて
「あれ、あれが何(なに)よりの證據(しやうこ)じやないか、みたまへ。水(みづ)の底(そこ)を
···
···
」
木菟(みゝづく)が
「なるほどな。けれど上(うへ)をごらん、あれは何(なん)んだい」
「おお」と蛙(かへる)はおどろきました。
なんだか急(きふ)に池(いけ)の中(なか)がさわがしくなりました。魚類(さかなたち)がいつもの舞踏(ダンス)をはじめたのです。それをみると、もう飛立(とびた)つばかりにうれしくなり、何(なに)もかもすつかり忘(わす)れて
木菟(みゝづく)が
「ほう、ほう、ほろすけほ」
蛙(かへる)も
「がちがちがちがち」
鯛の子
ある日(ひ)、鯛(たひ)の子(こ)が
「お父樣(とうさま)、しばらくお暇(いとま)が戴(いただき)きたうございます」とおそるおそる父(ちゝ)の前(まへ)にでて、お願(ねが)ひしました。そして心(こゝろ)の中(うち)では、どうか聽容(きゝい)れてくれるといいが。
父鯛(おやだい)はそれと聞(き)いて
「おお、汝(そち)は暇(いとま)をもらつて何(なん)とするのか」
「はい、旅(たび)に出(で)やうと思(おも)ひまして」
「む、旅(たび)に」
「はい」
「何處(どこ)へ、そしてまた、何(なに)しに行(ゆ)く」
「はい。私(わたし)はつくづく自分(じぶん)に智慧(ちゑ)の無(な)いことを知(し)りました」
「それで」
「それで、これから廣(ひろ)い世界(せかい)をめぐつて、もつともつと樣々(さま/″\)のことを見(み)たり聞(き)いたりしたいのです」
「それもよからう。けれど汝(そち)は卑(いや)しくも魚族(ぎよぞく)の王(わう)の、此(こ)の父(ちゝ)が世(よ)をさつたらばその後(あと)を嗣(つ)ぐべき尊嚴(たうと)い身分(みぶん)じや。决(けつ)して輕々(かろ/″\)しいことをしてはならない。よいか」
「はい」
「それが解(わか)つたら、すべては汝(そち)の自由(じいう)に委(まか)せる」
生(うま)れてはじめての鯛(たひ)の子(こ)の旅(たび)! 從者(じうしや)もつれず唯(ただ)、獨(ひと)りはじめの七日(か)十日(か)は何(なに)かと物珍(ものめづ)らしくおもしろかつたが、段々(だん/″\)と日(ひ)を追(を)つて澤山(たくさん)のくるしいことや悲(かな)しいことが、到(いた)るところに待伏(まちぶせ)し、とり圍(かこ)み、且(か)つ攻寄(せめよ)せてくるのでした。
「自分(じぶん)は鯛王(たひわう)の子(こ)だ。失敬(しつけい)なことをするな」
すると鮫(さめ)が「おい、みんな此(こ)の氣狂(きちが)ひを來(き)てみろ」
鱶(ふか)が
「小僧(こぞう)! おめえ迷兒(まいご)か、どこからきたんだ。だれか尋(たづ)ねる者(もの)でもあるのか」
鯛(たひ)の子(こ)はくやしくつて火(ひ)のやうに眞赤(まつか)になりました。けれどまた怖(こわ)くつて、氷(こほり)のやうに硬(こは)ばつてぶるぶる、ふるえてをりました。
もう旅(たび)は懲々(こり/\)でした。そう思(おも)ふと、自分(じぶん)の家(いへ)が戀(こひ)しくつて戀(こひ)しくつてたまりません。はやくかえらう。はやくかえらう。と、
···
···
···
···
···
···
···
···
父鯛(おやたひ)
「おお、氣(き)がついたか」
ぱつちりと目(め)をあいた子(こ)の鯛(たひ)
「ここはどこです」
「汝(そち)の家(いへ)ぢや」
「え。あなた誰方(どなた)です」
「汝(そち)の父(ちゝ)じや。わからないのか」
「あツ、お父樣(とうさま)!」
「どうしたといふのか、どう
···
···
でもまあよかつたわ」
「私(わたし)は甦(うまれかは)つたやうに感(かん)じます」
「おお。そして旅(たび)はどんなであつた」
「はい」是々云々(これ/\しか/″\)でしたと、灣内(わんない)であつた鰯(いわし)やひらめ [#「ひらめ」に傍点]の優待(いうたい)から、沖(をき)でうけた大(おほ)きな魚類(ぎよるゐ)からの侮蔑(ぶべつ)まで、こまごまとなみだも交(まぢ)る物語(ものがたり)。
「するとその歸(かへ)るさ、私(わたし)は路(みち)を急(いそ)いでをりますと、此(こ)の鼻(はな)さきに大(おほ)きな眞黒(まつくろ)い山(やま)のやうなものがふいと浮上(うきあが)りました。眼(め)がくらくらツとして體(からだ)が搖(ゆ)れました。まつたく突然(だしぬけ)の出來事(できごと)です。けれど何程(なにほど)のことがあらうと運命(うんめい)を天(てん)にゆだね、夢中(むちう)になつて驅(か)けだしました。それからのことは一切(さい)わかりません」
「無事(ぶじ)であつて何(なに)よりじや。その黒(くろ)い大(おほ)きな山(やま)とは、鯨(くじら)ぢやつた。おそろしいこと、おそろしいこと、聞(き)いただけでも慄(ぞつ)とする」
「お父樣(とうさま)」
「何(なに)」
「でも私(わたし)は善(よ)い經驗(けいけん)をいたしました」
「そんな生命(いのち)の瀬戸際(せとぎは)で」
「はい。そればかりではありません。世界(せかい)には私(わたし)どもの知(し)らないことが數限(かずかぎ)りなくあります。
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小(ちひ)さなところで獨(ひと)り威張(ゐば)つてゐることの」
「え」
「愚(おろか)さがしみじみ、はじめて解(わか)りました」
どうしてのんべえ [#「のんべえ」に傍点]は其酒を止めたか
のんべえ [#「のんべえ」に傍点]ものんべえ [#「のんべえ」に傍点]も怖(おそろ)しいのんべえ [#「のんべえ」に傍点]がありました。その家(いへ)では、それがために一年(ねん)の三百六十五日(にち)を、三百日(にち)ぐらゐは必(かなら)ず喧嘩(けんくわ)で潰(つぶ)すことになつてゐました。
けふもけふとて、ぐでんぐでんに御亭主(ごていしゆ)が醉拂(よつぱら)へてかへつて來(く)ると、お上(かみ)さんが山狼(やまいぬ)のやうな顏(つら)をして吠(ほ)え立(た)てました。なんとゆつても、まるで屍骸(しんだもの)のやうに、ひツくりかへつてはもう正體(しやうたい)も何(なに)もありません。梁(はり)の煤(すゝ)もまひだすやうな鼾(いびき)です。
お上(かみ)さんも呆(あき)れて、だまつてしまふのが例(れい)でした。
不思議(ふしぎ)なこともあるものです。それが今日(けふ)は、何(なに)をおもひだしたのか、目(め)が覺(さ)めると、めそめそ啜(すゝ)り泣(な)きをしながら、何處(どこ)へか出(で)て行(い)つてしまひました。
やがてのんべえ [#「のんべえ」に傍点]は樹深(こぶか)い裏山(うらやま)のお宮(みや)の前(まへ)にあらはれました。そして地(ぢ)べたに跪(ひざまづ)いて
「神樣(かみさま)、どうかお聽(き)きになつてください。私(わたし)はあなたもよく御承知(ごしやうち)ののんべえ [#「のんべえ」に傍点]です。私(わたし)がのんべえ [#「のんべえ」に傍点]なために家(いへ)の生計(くらし)は火(ひ)の車(くるま)です。嬶(かゝあ)や子(こ)ども等(ら)のひきづツてゐるぼろ [#「ぼろ」に傍点]をみると、もうやめよう、もうやめようとは思(おも)ふんですが、またすぐ酒屋(さかや)の店先(みせさき)をとほつて、あのいいぷうんとくる匂(にほ)ひを嗅(か)ぐと、まつたく理(り)も非(ひ)もなくなるんです。そしてそこへ飛(と)び込(こ)んでしまふんです。神樣(かみさま)、どうしてこんなに嚥(の)みたいんでせう。どうかして此(こ)の呑(の)みたい酒(さけ)をやめることは出來(でき)ないもんでせうか」
神樣(かみさま)はのんべえ [#「のんべえ」に傍点]の涙(なみだ)を御覧(ごらん)になりました。
「そうか。よくわかつた。俺(わし)はお前(まへ)がかわいさうでならない。唯(たゞ)、それだけだ」
「えツ、こんな紙屑(かみくづ)のやうな人間(にんげん)でも、かわいさうに想(おも)つてくださいますか」
「おお、そうおもはなくつてどうする」
「へえゝゝゝゝ」
よろこんだの、よろこばないのつて、のんべえ [#「のんべえ」に傍点]は轉(ころげ)るやうに、よろこんでその山(やま)から家(いへ)に驅(か)け戻(もど)りました。來(き)てみると嬶(かゝあ)も子(こ)どもも誰(だれ)もゐません。
お上(かみ)さんはお上(かみ)さんで、子(こ)ども達(たち)を引(ひ)きつれて御亭主(ごていしゆ)の立去(たちさ)つたあとへ、入(い)れ違(ちが)ひにやつて來(き)ました。
まるで喧嘩(けんくわ)でも賣(う)りにきたやうに
「どうしたもんでせう。神樣(かみさま)。宅(たく)ののんべえ [#「のんべえ」に傍点]ですがね。もうあきれて物(もの)も言(い)へません。妾(わたし)があなたに、あの酒(さけ)の止(や)むやうにつてお願(ねが)ひしたのは百ぺんや二百ぺんではありません。けれど止(や)むどころか、あの通(とほ)りです。けふは妾(わたし)に何(なに)か言(ゆ)はれたのがよくよく、くやしかつたとみえまして、目(め)が覺(さ)めると、しくしく泣(な)きながら、また出(で)て行(い)つたんです。屹度(きつと)、酒屋(さかや)へです。私(わたし)は酒(さけ)を憎(にく)みます。そのためにどうでせう、妾(わたし)や子(こ)ども等(ら)は年(ねん)が年中(ねんぢう)、食(く)ふや食(く)はずなんです。神樣(かみさま)、なんとか仰(おつしや)つてくれませんか。どうしてあなたはあんな酒(さけ)の造(つく)り方(かた)なんか人間(にんげん)にお教(をし)えになつたんです。妾(わたし)はあなたを恨(うら)みます」と、喚(わめ)きました。
神樣(かみさま)は、前(まへ)とおなじやうに
「そうか。よくわかつた。俺(わし)はお前達(まへたち)がかわいさうでならない。唯(たゞ)、それだけだ」
「えツ。唯(たゞ)、それだけですつて。ぢあ、酒(さけ)の方(ほう)はどうしてくださるんです」
「それは俺(わし)の知(し)つたことではない」
「まあ、此(こ)の神樣(かみさま)は」
「なんだ」
「酒(さけ)の方(はう)をどうして、くださるつて言(ゆ)つてるじやありませんか」
「そんなことは惡魔(あくま)に聞(き)け!」
ぷりぷり怒(おこ)つてお上(かみ)さんは歸(かへ)りました。歸(かへ)りながら考(かんが)えました。「ええ、馬鹿(ばか)つくせえ。何(なん)とでもなるやうになれだ」と、途中(とちう)で、あらうことかあるまいことか女(をんな)の癖(くせ)に、酒屋(さかや)へその足(あし)ではいりました。
底抜(そこぬ)けにひツ傾(か)けた證據(しやうこ)の千鳥(ちどり)あし、それをやつと踏(ふ)みしめて家(いへ)の閾(しきゐ)を跨(また)ぎながら
「やい、宿(やど)六、飯(めし)をだしてくれ、飯(めし)を。腹(はら)がぺこぺこだ。え。こんなに暗(くら)くなつたに、まだランプも點(つ)けやがらねえのか。え、おい」
おどろいたのは御亭主(ごていしゆ)でした。大變(たいへん)なことになつたものです。天地(てんち)が、ひつくりかえつたやうです。そんな日(ひ)がそれ以來(いらい)、幾日(いくにち)も幾日(いくにち)も續(つゞ)きました。餘(あま)りのおどろきに御亭主(ごていしゆ)は、自分(じぶん)の酒慾(しゆよく)も何(なに)もすつかり、どこへか忘(わす)れました。そして眞面目(まじめ)に働(はたら)きだしました。
するとお上(かみ)さんも考(かんが)えました。その不品行(ふひんかう)が耻(はづか)しくなつて來(き)たのです。
或(あ)る日(ひ)、夫婦(ふうふ)して仲睦(なかむつま)じくお茶(ちや)をのんでゐると、そこへ雉(きじ)の子(こ)が木(き)の葉(は)を一つ葉(ぱ)、啣(くわ)えてきて、おいて行(ゆ)きました。それは裏山(うらやま)の神樣(かみさま)からでした。何(なに)か書(か)いてありました。みると
「さあ、これでお前達(まへたち)の願望(ねがい)はかなつた」
ささげの秘曲
朝露(あさつゆ)が一めんにをりてゐました。ささげ畑(ばたけ)では、ささげが繊(ほそ)い細(ほそ)いあるかないかの銀線(ぎんせん)の、否(いな)、むづかしくいふなら、永遠(えいゑん)を刹那(せつな)に生(い)きてもききたいやうな音(ね)のでる樂器(がくき)に、その聲(こゑ)をあはせて、頻(しきり)に小唄(こうた)をうたつてゐました。
けさも貧(まづ)しい病詩人(びやうしじん)がほれぼれとそれをきいてゐました。他(ほか)のものの跫音(あしをと)がすると、ぴつたり止(や)むので、誰(だれ)もそれを聽(き)いたものはありません。
そのうた
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どこにおちても俺等(わしら)は生(は)へる
はなもさかせる
みもむすぶ
そしてまあ
何(なん)てきれいな世界(せかい)だろ
[#明らかな誤字・脱字、判読不能などの箇所の修正は、「山村暮鳥全集 第三巻」筑摩書房 1989(平成元)年9月30日初版発行 を参考にした。]
底本:「ちるちる・みちる 山村暮鳥童話集」名著復刻 日本児童文学館、ほるぷ出版
1974(昭和49)年5月初版発行
底本の親本:「ちるちる・みちる 山村暮鳥童話集」落陽堂
1920(大正9)年8月22日初版発行
入力:橋本山吹
校正:トム猫
ファイル作成:野口英司
1999年11月11日公開
2003年8月10日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、
青空文庫(http://www.aozora.gr.jp)
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●表記について
本文中の/\は二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)、濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」。
本文中の※は、底本では次のような漢字(JIS外字)が使われている。
※ (かな/\)
第3水準1-91-55