一
種痘の話が出たときに、半七老人はこんなことをいった。
「今じゃあ
なにしろ植疱瘡ということが追いおいに認められて来て、大阪の方が江戸よりも早く植疱瘡を始めることになりました。江戸では安政六年の九月、神田のお玉ヶ池(
そんなことを云っているうちに、例によってお話が自然と自分の畑へはいって行くんですが、それに就いてこんな事件がありましたよ。これなぞは江戸時代でなければ滅多に起こりそうもないことで、ほんとうのむかし話というのでしょうが、当世の方々にはかえってお珍らしいかも知れません。
文久二年正月の事と御承知ください。この年は春早々から風が吹きつづいて、とかくに火事沙汰の多いのに困りましたが、本郷湯島の天神の社殿改築が落成して、正月二十五日の御縁日から十六日間お開帳というので、参詣人がなかなか多い。奉納の
日は忘れましたが、なんでも二月の初めです。神田明神下の菊園という葉茶屋の家族が湯島へ参詣に出かけました。この葉茶屋は諸大名の屋敷へもお出入りをしている大きい店で、菊ゾノと読むのが本当だなどと云う人もありましたが、普通には菊エンと呼んでいました。店の者も菊エンと云っていたようです。葉茶屋ですからエンという方が本当かも知れません。その菊園の嫁のお雛、ひとり息子の玉太郎、乳母のお福、この三人のほかに隣りのあずま屋という菓子屋の女房と娘、あずま屋の親類の娘、あわせて六人連れで、近所のことですから午過ぎから出かけると、前にも云う通りの評判で、湯島の近辺は押し返されないような混雑、そのなかを
お雛は十八の年に菊園の嫁に来て、
こういう混雑の場所で、子供が親にはぐれて
それほど遠くもない所で、迷児になってしまうと云うのは少しおかしい。子供といってももう七つにもなっているのだから、誰かに道を
今でも時々そんな噂を聞きますが、昔は人攫いだの、神隠しだのということがしばしば云い伝えられました。人攫いは小綺麗な女の児を攫って行くんですが、男の児も攫われることがある。これは遠方へ連れて行って、幾らかに売り飛ばすのですが、神隠しの方はなぜだか判らない。普通は天狗に攫われるのだと云っていましたが、嘘か本当か請け合われません。尤も半年か一年の後にふらりと帰って来て、今まで山の中に暮らしていたなどと云う者もある。そんなわけですから、子供のすがたが見えなくなれば、第一は迷児、次は人攫いか神隠しかと云うことになるのが普通で、玉太郎も迷児を通り越して人攫いか神隠しかという説が多くなりました。
神隠しはどうにもならないが、人攫いならば早く手を廻して、そのありかを探し出す工夫が無いでもあるまいというので、その夜ふけに番頭要助がわたくしの家へたずねて来ました。さてこれからがお話です」
二
小座敷の行燈の下で、客と主人が向かい合った。もう寝ようとしたところを叩き起こされて、春の
「あの玉ちゃんという
「はい、主人の子を褒めるのもいかがですが、仰しゃる通り、色白の可愛らしい子供でございまして······」と、要助は答えた。「それだけに親たちも心配いたしまして、もしや
「そこで、わたしの心得のために、
「お店には
「はい、大主人は半右衛門、五十三歳。おかみさんはおとせ、五十歳でございます」
「若主人夫婦は······」
「若主人は金兵衛、三十歳。若いおかみさんはお雛、二十六歳。若いおかみさんの里は、岩井町の田原という材木屋でございます」
「お
「お福と申しまして、若いおかみさんと同い年でございます。お福の宿は根岸の魚八という
「乳母に出るのだから、一旦は亭主を持ったのだろうが、その亭主とは死に別れですかえ」
「なんでも浅草の方へ縁付きましたのですが、その亭主が道楽者で······。生まれた子が死んだのを幸いに、縁切りということに致しまして、乳母奉公に出たのだそうでございますが、まことに
それから店の若い者、小僧、奥の女中たちまで、一々身もと調べをした上で、半七はかんがえながら云った。「なにしろ御心配ですね。これがお店にかかり合いのある者の
「なにぶん宜しく願います」と、要助は繰り返して頼んで帰った。
それを見送って、寄り付きの二畳へ出て来た半七は、誰か表に忍んでいるような
「おい、そこにいるのは誰だ」
声をかければ逃げるのは判っていたが、無言で
その明くる朝である。半七が茶の間で朝飯を食っていると、入口の格子のあいだから何か投げ込んだような音がきこえた。半七に
菊園の子息玉太郎は仔細あって拙者が当分預り置き候、本人身の上に別状なきことは武士の誓言 相違あるまじく候、菊園一家の者に心配無用と御伝え被下度 、貴殿にも御探索御見合せ被下度候、先 は右申入度、早々。
それを読み終って、半七はまた笑った。成程その筆蹟は町人らしくないが、「武士の誓言」などと云って、いかにも武士の仕業らしく思わせようとするのは、浅はかな巧みである。ゆうべ忍んでいた奴も、「どうも御無沙汰をして、申し訳がありません」
「何をぶらぶら遊んでいるのだ。おい、鮓屋。早速だが、用がある。ここへ来い」
弥助を呼び込んで、半七は菊園の一件を話して聞かせた。
「こりゃあ人攫いや神隠しじゃあねえ。なにかの仔細があって、玉太郎を隠した奴があるのだ。菊園に恨みのある奴か、それとも菊園を嚇かして金にする料簡か、二つに一つだろう。おめえはこれから根岸へ行って、乳母のお福の宿をしらべて来てくれ。お福の
「乳母が怪しいのですかえ」
「怪しいどころか、番頭の話じゃあ正直な忠義者だそうだが、この頃の忠義者は当てにならねえ。ともかくもひと通りは手を着けて置くことだ」
「ようがす。すぐに行って来ます」
「浅草の方は庄太の手を借りてもいい。なるべく早くやってくれ」
弥助を出してやった後に、半七はかんがえた。これから菊園へ出向いて、一度主人たちにも逢い、家内の者の様子を見とどけるのが、まず正当の順序であるが、もし家内にかかり合いの者があるとすれば、かえって用心させるような事になって妙でない。遠方から遠巻きにして、最後に乗り込む方がよかろうと思った。もう一つには、きょうは九ツ(正午)からどうしても見送りに行かなければならない
八丁堀から葬式へまわると、寺は橋場であった。八ツ(午後二時)過ぎに寺を出て、ほかの会葬者とあとさきになって帰る途中で、半七はふと思いついた。子分の庄太の家は
「やあ、親分。どこへ······」
「橋場の寺まで行って来た」
「
「むむ。弥助は来たか」
「まだ来ません。何かあったのですか」
「すこし頼んだことがあるのだが······。あいつは気が長げえから埓が明かねえ」
「まあ、おはいんなせえ。だが、きょうはあいにくの日で、大変ですよ。隣りの長屋二軒が
庄太は笑いながら先に立って引っ返すと、なるほど狭い露路のなかは混雑して、二軒の古い長屋は
「おい、庄太。あれを拾って来てくれ」
「なんです」
「あの
根太板を剥がれた
それが火伏せの
「ここの
「夜蕎麦売りの仁助で、その隣りが
「隣りにも橙があるか無いか、探してくれ」
庄太は芥をかき分けて詮索したが、隣りの床下には獲物がなかった。内へはいると、庄太の女房も出て来た。ひと通りの挨拶の済んだあとで、半七はかの橙を手の上に転がしながら
「この龍という字は、なかなかしっかり書いてある。仁助とかいう奴が自分で書いたのじゃああるめえ。誰に頼んだのか、知らねえか」
「表の白雲堂ですよ」と、女房が口を出した。
表通りに幸斎という
「白雲堂······。そりゃあどんな奴だ」と、半七はまた訊いた。
今度は庄太が代って説明した。白雲堂の幸斎は五十二三の男で、ここに十年あまりも住んでいる。自分はよくも知らないが、うらないは
「そこで、その龍の字に何か引っかかりがあるのですかえ」と、庄太は訊いた。
「むむ。すこし
「へえ、そうですかね」
訳を知らない庄太は、ただ感心したように首をかしげていると、隣りでは壁を崩すような音ががらがらと聞こえて、それと同時に弥助が
「やあ、ひどい、ひどい。飛んだところへほこりを浴びに来た」
彼は手拭で顔や着物を払いながら、半七を見て驚いたように
「親分、もう先き廻りをしたのですか」
「江戸っ子は気が早え」と、半七は笑った。「そこで、どうだ。根岸の方は······」
「わっしのことを気が長げえと云うが、その代りに仕事は念入りだ。まあ、聴いておくんなせえ」
「一軒家じゃあねえ、大きな声をするな」
半七に注意されて、彼は小声で話し出した。
三
根岸が下谷区に編入されたのは明治以後のことで、その以前は豊島郡金杉村の一部である。根岸といえば鶯の名所のようにも思われ、いわゆる「同じ垣根の幾曲り」の別荘地を忍ばせるのであるが、根岸が風雅の里として栄えたのは、文化文政時代から天保初年が尤も盛りで、水野閣老の天保改革の際に、
それがために、くれ竹の根岸の里も俄かにさびれた。春来れば、鶯は昔ながらにさえずりながら、それに耳を傾ける風流人が遠ざかってしまった。後にはその禁令も次第にゆるんで、江戸末期には再び昔の根岸のすがたを見るようになったが、それでも文化文政の春を再現することは出来なかった。
魚八は根岸繁昌の時代からここに住んでいる
弥助の報告は大体こんなことであった。
「それから美濃屋の方を調べたか」と、半七は
「調べました。ところが、亭主の次郎吉という奴は、女房に逃げられるような道楽者だけに、玩具屋の店は三年ほど前に潰してしまって、今じゃあ田町を立ち退いて、
「その後に女房は持たねえのか」
「ひとり者です」と、弥助は答えた。「だが、近所の者の噂を聞くと、ふた月に一度ぐらい、
「いい株だな。おめえ達も羨ましいだろう」と、半七は笑った。「その女は恐らく先の女房だろうな。親たちが不承知で無理に引き分けられた。女にゃあまだ未練があるので、奉公さきから抜け出して時々逢いに来る。しかしふた月に一度ぐらいはなかなか辛抱強い。お福という女も馬鹿じゃあねえと見えるな」
「そうでしょうね」
「そこで、その次郎吉という奴だが······。近所の評判はどうだ」
「褒められてもいねえが、悪くも云われねえ。まあ中途半端のところらしいようですね」
「中途半端じゃあ困るな。白雲堂にでもうらなって貰わねえじゃあ判らねえ」
半七は暫く思案していた。自分の膝の前に置いてある橙の「龍」の字が白雲堂の筆であるとすれば、けさ何者かが投げ込んで行った「武士の誓言」の一通も、同じ人の筆であるらしい。果たして同筆であれば、白雲堂はこの事件に係り合いがあるものと
それにしてもその玉太郎という子供をどこへ隠したか。裏店住居の次郎吉や、
「じゃあ差しあたりは二人に頼んでおく。庄太は近所の次郎吉と白雲堂に気をつけてくれ。弥助の受け持ちは根岸の魚八だ。その魚屋にどんな奴らが出這入りをするか油断なく見張ってくれ」
めいめいの役割を決めて、半七は一旦ここを引き揚げた。帰り途に外神田へさしかかって、菊園の前を通り過ぎながら、横眼に店をちらりと覗くと、番頭の姿はそこには見えなかった。あずま屋の
それと入れかわって、半七はあずま屋へはいった。要りもしない菓子を少しばかり買って、彼は店の者に訊いた。
「今ここにいたのは菊園のお
「そうです」
「菊園の子供はさらわれたと云うじゃあねえか」
この時、三十五六の女房が奥から出て来た。彼女は半七に会釈しながらすぐに話した。
「おまえさん、お隣りのことをもう御存じなのですか」
「そんな噂をちょいと聞きましたよ」と、半七は店に腰をおろした。「その子供はまだ帰って来ないのかね」
「いまもお乳母さんが来ましたが、まだ知れないそうで······。わたくし共も一緒だけに、なんだか係り合いで······」
「じゃあ、おかみさんも一緒だったのかえ」と、半七は空とぼけて訊いた。
「ええ。それだけに余計お気の毒で······。いまだに帰って来ないのを見ると、大かた攫われたのでしょうね。玉ちゃんは色の白い、女の子のような綺麗な子ですから、悪い奴に
「それで、ちっとも手がかりは無いのかね」
「それに就いて、こんな話を聞いたのですが······」と、女房は往来を窺いながら声を低めた。「きのうの八ツ半(午後三時)頃に、玉ちゃんが
「お乳母さんにそれを話したのかえ······」
「話しました。それでもお乳母さんはまだ疑うような顔をして、首をかしげていました。
自分の報告を菊園の乳母が信用しないと云って、不平らしく話した。
「あの乳母さん、小粋な人だが、色男でもあるのかね」と、半七は冗談らしく訊いた。
「そんなことは無いでしょう。堅い人ですから······」と、女房は打ち消すように云った。「玉ちゃんが見えなくなったので、御飯も食べないくらいに心配しているのです。あの人はまったく忠義者ですからねえ」
誰に訊いてもお福の評判がいいので、半七はすこし迷った。それにしても玉太郎らしい男の児が太鼓売りと一緒に歩いていたと云うのは、一つの手がかりである。半七はいい加減に挨拶して、菓子屋の店を出た。
十年ほど前から、誰が考え出したか知らないが、江戸には
お福の亭主の次郎吉は風車売りになっていると云うから、あるいは河豚太鼓なども売っているかも知れない。自分が売らなくとも、それを売る大道商人などと懇意にしているかも知れない。そんなことを考えながら、半七は三河町の我が家へ帰った。帰るとすぐに、かの橙を袂から取り出して、けさの落とし文と照らし合わせてみると、龍の字はたしかに同筆であった。
「はは、馬鹿な奴め。自分で陥し
四
そのあくる朝は晴れていたが、二月とは思われないような寒い風が吹いた。
「どうも悪い陽気だ。この春は雨が降らねえからいけねえ」
そんなことを云いながら、半七は顔を洗っていると、菊園の番頭要助が早朝からたずねて来た。
「毎度お邪魔をいたして相済みませんが、実は親分さんのお耳に入れて置きたい事がございまして······」
「なにか又、
「乳母のお福がゆうべから戻りません。日暮れから姿が見えなくなりまして、どこへ行ったか判りませんので······」
「これまでに
「いえ、あしかけ七年のあいだに、唯の一度も夜泊まりなどを致したことはございません。時が時でございますから、主人も心配いたしまして、もしや申し訳が無いなどと短気を起こしたのではあるまいかと······。お福ひとりではなく、若いおかみさんや近所の人達も一緒にいたのですから、たとい子供が見えなくなりましても、自分ばかりの
溜め息まじりに訴える番頭の顔を、半七は気の毒そうに眺めた。
「まったくお察し申します。そこで、わたしの調べたところじゃあ、お福の
それに対して、要助はこう答えた。お福は正直に勤める女といい、その宿も遠くない根岸にあるので、月に一度くらいは実家へ立ち寄ることを許してある。もちろん半日ぐらいで帰って来る。玉太郎はお福によく馴染んでいるので、宿へ行くときにも必ず一緒に連れて出る。そのほかには殆ど外出したことは無いから、恐らく浅草の先夫をたずねたことはあるまいと云うのである。
「坊やはお福によく馴染んでいるのですね」と、半七はまた
「生みの親よりも乳母を慕って居ります。お福の方でも我が子のように可愛がって居りました。それがこんな事になりましたので、お福もやっぱり取りのぼせたのかと思われます」
「根岸の宿へも聞き合わせましたか」
「夜が明けないうちに使を出しましたが、ゆうべから根岸へは一度も姿をみせないと申しますので、なおさら心配いたして居りますような訳でございます」
「このごろ子供のおもちゃに河豚の太鼓がはやりますね。カンカラ太鼓とか云うようだが······。お店の坊やはそんな物を
玉太郎も河豚太鼓を持っていると、要助は答えた。先月お福と一緒に根岸へ行った時に、その太鼓を持って帰った。買ったのではない、貰って来たのである。お福の宿の魚八では、近ごろ店の商売が思わしくないので、女房と息子は商売の
「魚八ではその太鼓を
「さあ、それはどうでしょうか」と、要助も首をかしげていた。
「いや、大抵はわかりました。お乳母さんの事もまあ心配することは無いでしょう。それからもう一つ訊きたいのは、そのお福は
「はい。子どもには死に別れ、亭主には生き別れ、とかくに運の悪い女でございますので、自然と占いやお神籤を信仰するようになりましたようで、時々にそんな話をして居ります」
河豚太鼓、白雲堂、それらの糸の繋がりがだんだんに判って来たように思われたが、まだ迂濶なことは云われないので、半七はいい加減に挨拶して番頭を帰した。あずま屋の女房の話は本当で、その太鼓売りは魚八のせがれの佐吉か、或いはその友達であろう。又はかの次郎吉であるかも知れない。いずれにしても、佐吉らは乳母のお福と云い合わせて、玉太郎をかどわかしたものと認められる。お福はなぜ家出をしたか、その仔細はちょっとわかり兼ねるが、この一件に係り合っている以上、主人や番頭が心配しているような事はあるまい。彼女は恐らく無事で、どこにか身をかくしているに相違ない。
こうなると、根岸の方も弥助ひとりには任せて置かれないように思われたので、半七もすぐに家を出た。寒い風はいよいよ吹き
根岸も此の頃はだんだんに繁昌して来たという噂であるが、来て見るとやはりさびれていた。むかしの寮を取り毀したあとは、今も
「ひどい風ですね」
「どうも仕様がねえ」
二人は風をよけながら、路ばたの大きな榎のかげにはいった。その木の下には細い
「早速だが、魚八じゃあ河豚太鼓をこしらえているか」
「拵えています」と、弥助は答えた。「商売が
「ともかくも魚八へ行ってみよう」
「魚八には誰もいませんよ。親父も伜も出払って、店にいるのは女房ばかりです」
「女房はどんな女だ」
「お政という四十五六の女で、見たところは悪気のなさそうな人間です。親父も伜も近所の評判は悪くないようです」
そんなことを話しながら、二人は流れに沿うて小半町ほども歩いて行くと、その流れを前にして三、四軒の小あきんど店がならんでいた。その二軒目が魚八で、さびれながらも相当に広い店さきには竹の
「もし、誰かいねえかね」
「はい、はい」
よごれた
「お前さんはここのおかみさんですね。わたしは明神下の菊園へ出入りの者で、番頭さんから頼まれて来たのだが、けさも店の方から使が来たでしょう」
「はい」と、女房は不安らしく答えた。
「お福さんはまったくここへ来なかったのかえ」と、半七は訊いた。「お前さんも知っているだろうが、菊園の店にもいろいろの取り込みがある。その最中にお乳母さんがまた見えなくなっちゃあ実に困る。それで、わたし達も方々を探しているのだが、お前さんの方にはなんにも心あたりはありませんかね」
「御心配をかけまして相済みません。けさもお店からお使がございましたので、親父も伜もびっくり致しまして、取りあえず手分けをして探しに出ましたが、まだ帰って参りません」
言葉少なに挨拶しながらも、困惑の色が女房の顔にありありと浮かんでいた。何事も承知の上でシラを切っているのか、まったく何事も知らないのか、半七にも容易にその判断が付かなかった。
「どうも困ったな」と、半七はわざとらしく溜め息をついた。
「ほんとうに困ったことでございます」と、女房も溜め息をついた。「娘は気の小さな正直者でございますから、玉ちゃんが見えなくなったのを苦に病んで、皆さんに申し訳がないと思って、どこへか姿を隠したのか、それとも
「じゃあ、仕方がない。また出直して来ましょう」
「御苦労さまでございます」
「河豚がたいそう干してありますね」と、半七は店を出ながら云った。
「はい。太鼓の皮に張りますので······」
「ここの息子も太鼓を売りに出るのかえ」
「はい。店の方が思わしくございませんので、まあ小遣い取りに出て居ります」
「菊園の子供は河豚の太鼓を売る奴にさらわれたという噂だが······」
「まあ、本当でございますか」と、女房は眼をみはった。
「ここの息子が連れて行ったのじゃあねえかえ」と、半七は冗談らしく云った。
「飛んでもない······。うちの佐吉がどうしてそんな事を······。佐吉が万一そんな事をしましたら、親父が承知しません。わたくしも承知しません。あいつの首へ縄をつけて、菊園のお店へ引き摺って行きます。おまえさんは一体どこの人からそんな噂を聞いたのです」
激しい
「いや、噂も何もない。冗談だ、冗談だ。本気になって怒っちゃあいけねえ」
笑いにまぎらせて、半七はそこを出ると、弥助もつづいて出た。
「あの
「むむ。あの嬶、まったく正直で怒るのかどうだか。そこがまだ判らねえ」と、半七はかんがえながら云った。
「これからどうします」
「浅草へ行こう」
二人は寒い風のなかを又あるき出した。根岸から坂本の通りへ出ると、急ぎ足の庄太に出逢った。庄太は神田の
「親分。ひと騒動始まりましたよ」
「どうした。なにが始まった」
「白雲堂が死にました」
「どうして死んだ」
「河豚を食って」
「河豚······」
半七と弥助は顔をみあわせた。魚八の店に干してあった河豚の皮が二人の眼さきに浮かんだ。
五
太鼓に張るのは河豚の皮だけで、その肉はどうするか判らなかったが、むなしく捨ててしまうばかりでもあるまい、命がけで食う者に
そうなると、白雲堂と魚八とは何かの関係が無ければならない。正直そうに見えた魚八の女房も当てにはならないで、やはりこの一件に係り合いがあるのか。そんなことを考えながら、半七は二人と共に浅草へ急いだ。
馬道の白雲堂の店は、けさに限っていつまでも戸を明けないので、両隣りの者が不審をいだいて表の戸を叩いたが、内にはなんの返事もないので、いよいよ不審が重なって、裏口の雨戸をこじ明けてはいると、
やがて検視の役人も出張ったが、医者の診断や家内の状況によって、幸斎の死は河豚の中毒と判った。河豚で死ぬのは珍らしくない。それが他殺でない以上、検視は至極簡単に片付いた。半七らが行き着いた頃には、役人らはもう引き揚げて、白雲堂には近所の人達がごたごたしているばかりであった。幸斎はひとり者であるから、近所の者が寄り合って
半七は家主に逢って、売卜者のふだんの行状などに就いて問い合わせたが、庄太からきのう聞いた通りで、別に怪しいような
「そうして、いつごろ帰って来た」と、半七は訊いた。「どこへ行ったとも云わなかったか」
「出るときには、ちょいと出て来るから頼むと云いましたが、別にどこへ行くという話もありませんでした」と、亭主は答えた。「日が暮れてから帰って来て、それから

「どんな女が来た······」
「
商売が商売であるから、白雲堂へは占いを頼みに来る男や女が毎日出入りをする。殊に女の客が多い。したがって、隣りの古道具屋でも出入りの客について一々注意していないのであった。暗い宵ではあり、女は頭巾を深くかぶっていたので、その人相も年頃もまったく知らないと、亭主は云った。それも無理のない事だとは思ったが、ゆうべたずねて来た女があると云うのが半七の気にかかったので、彼はかさねて
「それから、その女はどうした」
「さあ、なにぶん気をつけて居りませんので、確かには申し上げられませんが、小さい声で何か暫く話して居りまして、それから帰ったようでございました」
「どっちの方角へ帰った······」
「それはどうも判りませんので······」
「白雲堂はどうした」
「幸斎さんはそれから間もなく出たようでしたが、それっきり帰って参りません。そのうちに四ツ(午後十時)になりましたので、わたくしの店では戸を閉めましたが、それから少し経って帰って来たようで、戸をあける音がきこえました。わたくし共でもみんな寝てしまいましたので、それから先のことは一向に存じません」
「その女と一緒に帰って来た様子はねえか」
「さあ、それも判りませんので······」
まったく知らないのか、或いはなにかの係り合いを恐れるのか、亭主はとかく曖昧に言葉を濁しているので、それ以上の詮議も出来なかった。この時、だしぬけに頭の上で猫の啼き声がきこえたので、半七は思わず見あげると、猫は普通の三毛猫で、北から吹く風にさからいながら、白雲堂の屋根の
その猫のゆくえを見送っているうちに、ふと眼についたのは白雲堂の二階である。床店同様ではあるが、ともかくも小さい二階があるので、万一そこに玉太郎を隠してあるかも知れないと思い付いて、半七はすぐに家主に訊いた。
「お家主に伺いますが、検視のお役人衆は二階をあらためましたか」
「いえ、別に······」
河豚の中毒と判っては、家探しなどをする筈もない。検視の役人らは早々に立ち去ったのであろう。家主に一応ことわった上で、半七は庄太を先に立てて二階へあがろうとすると、そこには
「おかしいな」と、半七は訊いた。「なんで梯子を引いたのだろう」
「変ですね。なんとかして登りましょう」
庄太は二階の下にある押入れの棚を足がかりにして、柱を
押入れの上の棚には、古びた
半七はこの鼻に手を当ててみた。
「息はある。早く解いてやれ」
庄太は手足の縄を解き、口の手拭をはずしてやったが、女はやはり半死半生で身動きもしなかった。
二階から半七に声をかけられて、下にあつまっている人達も俄かに騒ぎ立った。なにしろ梯子がなくては困ると、あわてて家内を探しまわると、台所の隅に立てかけてあるのが見付け出された。
梯子をかけて、女をかかえおろして、ひと先ずそれを自身番へ送り込ませた後に、半七は更に二階の押入れをあらためると、丸められた帯のそばに小さい風呂敷包みがある。あけて見ると、菓子の袋と小さい河豚太鼓があらわれた。
二階の
「お話も先ずここらでしょうかね」と、半七老人はひと息ついた。
白雲堂の二階で発見された女が菊園の乳母であることは私にも想像されたが、そのほかの事はなんにも判らなかった。誰が善か、誰が悪か、それさえもまだ見当が付かないので、わたしは黙って相手の顔をながめていると、老人は又しずかに話し出した。
「これが初めにお話し申した疱瘡の一件ですよ」
「疱瘡······。植疱瘡ですか」
「そうです。前にも云う通り、江戸では安政六年から種痘所というものが出来て、植疱瘡を始めました。このお話の文久二年はそれから足掛け四年目で、最初は不安心に思っていた人達も、それからそれへと聞き伝えて、物は
老人夫婦は最初不承知であったらしいんですが、もし本当の疱瘡をすれば、玉のような顔が鬼瓦のように化けるかも知れない。それを思うと、あくまでも反対するわけにも行かないので、つまりは孫が可愛さから、まあ渋々ながら同意することになったんです。若主人夫婦も植疱瘡をたしかに信用しているわけでも無いんですが、いけないにしても元々だぐらいの料簡で、半信半疑ながらもともかくも植えさせることにして、近いうちに玉太郎を種痘所へ連れて行く······。さあ、それが事件の
「白雲堂は前から識っていたんですか」
「お福はお
それではどうしたらよかろうと相談すると、差しあたりは本人の玉太郎をどこへか隠すよりほかは無い。そのうちには自然の邪魔がはいって、植疱瘡もお流れ······。無期延期になるに相違ないと教えられたので、お福もとうとう其の気になったんです。女の浅はかとひと口に云ってしまえばそれ迄ですが、お福としては一生懸命、先代萩の政岡といったような料簡で、忠義
「根岸の親たちも味方なんですか」
「白雲堂に知恵をつけられて、その後で根岸へまわって、その一件を打ち明けると、魚八の夫婦も無論にむかし者で、やはり植疱瘡なぞには反対の組です。おまけに白雲堂から嚇かされたので、この夫婦も娘に同意して、大事の坊ちゃんを隠すことになりました。そこで、万事打ち合わせの上で、湯島の天神参詣の時を待って、玉太郎を連れ出すという段取りになったので······。その役目は弟の佐吉が勤めたんですが、都合のいいことには玉太郎はお福によく
しかし根岸の家に隠して置くのは
玉太郎誘拐の筋道はこれで判ったが、それから先の事情はいっさい不明である。それに就いて老人は更に説明した。
「魚八の一家はみんな悪い人間じゃあないが、白雲堂の
白雲堂は玉太郎を自分の家へ隠まって置くのはあぶないから、更に又ほかの家へ預けようかと云っていたという話を聞かされて、お福はいよいよ不安心になって、すぐに浅草へ廻ったんですが、その時に根岸の家で河豚太鼓を貰い、雷門で菓子を買って、坊ちゃんのおみやげに持って行った······。よくよく坊ちゃんが可愛かったと見えます。
さてそれからが災難で、お福が白雲堂へたずねて行くと、実はもう玉太郎はほかへ預けたというんです。それじゃあ其処へ連れて行ってくれと云うと、一緒に出ては近所の眼に付くからと、ひと足さきへお福を出して置いて、自分もあとから出て来た。そうして、連れ込んだ先は
誘拐は重罪であるが、主人の子供をかどわかすのは、その罪がいよいよ重い。おまえは勿論だが、ぐるになって悪事を働いた親達も弟も死罪を免かれないから覚悟しろと、まあこう云って嚇し文句をならべ立てて、お福の持っている
幸斎はそれから茶の間に坐り込んで、ふぐ鍋で一杯飲み始めました。その河豚は魚八から貰って来たもので、これから一杯飲もうとする処へお福がたずねて来たので、その儘になっていたんです。これで幸斎が無事ならば、お福は又どんな目に逢ったか知れなかったんですが、幸斎は一旦酔って寝てしまったらしい。それが夜なかに眼を醒ますと、いわゆる鉄砲の中毒、ふぐの祟りで苦しみ死にをしたのは、天罰
「玉太郎はどこに隠してあったんです」
「白雲堂が死んでしまったので、手がかりがありません。山谷の勝次郎は、白雲堂と知り合いではあるが、この一件に就いてはなんにも知らないと云う。そうなると、次郎吉を調べるのほかは無いので、庄太に案内させて
今まではお福だとばかり思っていたんですが、それが別の女だと知れて、わたくしも少し案外に思ったんです。そこで、見え隠れに又その後を尾けて行くと、女は今戸橋を渡って、八幡さまの先を曲がって、称福寺という寺の近所の小じんまりした二階家へはいる。隣りの家で訊いてみると、元はよし原に勤めていたお京という女で、
お京が奥から出て来ると、わたくしはその顔を見るや否や、いきなりに『菊園の玉太郎を連れに来たから、すぐに出せ』と云うと、女は顔の色をちょっと変えましたが、そんな者は居りませんと云う。わたくしは畳みかけて『なに、居ないことがあるものか、誰にやるつもりでカンカラ太鼓を買ったのだ』と一本参ると、さすがは女で、もう行き詰まってぐうの
「では、そのお京という女も共謀なんですか」
「まあ、共謀といえば共謀です。お京と次郎吉はよし原にいた時からの馴染で、槌屋の隠居の世話になっていながらも、内証で次郎吉を引っ張り込んでいたんです。次郎吉の家は裏長屋で、近所の口がうるさいので、お京の方からは滅多にたずねて行かない、いつも自分の方へ呼んでいる。次郎吉はだらしのない怠け者ですが、人間が小粋に出来ているので、まあ色男になっていたわけです。勿論、白雲堂とも前から識っていました。
白雲堂も一旦は玉太郎を自分の家へ引き取ったが、何分にも家は狭い、隣りは近い。自分はひとり者で子供の世話にも困る。おまけに菊園では岡っ引に探索を頼んだという話を聞いて、なおさら自分の家に置くのは不安だと思って、次郎吉に相談してひと先ず玉太郎をお京の二階に預けることにしました。次郎吉は自分とお京との秘密を白雲堂に知られている弱味があるのと、元来が考え無しの人間ですから、うかうかと引き受けてしまったので、お京と次郎吉には別に悪い料簡もなかったようです。
お京も男にたのまれて、玉太郎をあずかっては見たものの、子供のことですから
「お福と次郎吉とは無関係なんですか」
「相変らず縁が繋がっているように思ったのは、わたくしの見込み違いで、お福とお京とを間違っていたんです。こういう勘違いでやり損じることがしばしばありますから、早呑み込みは出来ません。しかしこの一件に次郎吉が
「お福はどうなりました」
「お福は手当てをして主人に預けられました。こんな騒ぎを
白雲堂が河豚で死ななかったら、お福はどんなことになったか判りません。魚八でも白雲堂を殺すつもりで河豚をやったのでは無いんですが、それが自然に相手を殺して、娘の難儀を救うようになったというのは、なんだか小説にでもありそうな話です。
菊園の玉太郎はその後に植疱瘡することになったそうです。お福は根岸へ帰ってから何処へも再縁せずに、家の手伝いなぞをしていましたが、上野の彰義隊の戦争のときに、流れ