カツテ、幾人カノ外来者ガ、案内者ナクシテ、コノ密集地域ノ奥深ク迷ヒ込ミ、ソノママ行先不明トナリシ事ノアリシト聞ク||このやうに、ある大阪地誌に下手な文章で結論されてゐる釜ヶ崎は「ガード下」の通称があるやうに、恵美須町市電車庫の南、関西線のガードを起点としてゐるのであるが、さすがその表通は、紀州街道に沿つてゐて皮肉にも住吉堺あたりの物持が自動車で往き来するので、幅広く整理され、今はアスファルトさへ敷かれてゐる。それでも矢張り他の町通と区別されるのは五十何軒もある木賃宿が、その間に煮込屋、安酒場、めし屋、古道具屋、紹介屋なぞを織込んで、陰欝に立列んでゐるのと、一帯に強烈な臭気が||人間の臓物が腐敗して行く臭気が流れてゐることであらう。
一九三二年の冬の夜、小さな和服姿の「外来者」が唯一人でこの表通を南の方へ歩いてゐた。冷い雨が降つて、彼のコーモリ傘を握つた指先も凍れて
すでに、街から
妙なもので、遠い以前の習慣を、足は忘れずにゐて思ひ出したものか、無意識にふと立ちどまり、そこで小説家がはつとして眼を転じるならば、ちやうど彼が生れて育つた家の、路地先まで来てゐるのであつた。雨にベタベタに濡れて光る
路地に入ると暗がりで、軒並みの家々の影も、永い年月が経つてゐる故、古びて
すると、彼はその家の戸口に女が出て来たのを認めたのである。それは恐らく、そこのお神さんで、外出しようとするのだが、雨はまだ止まぬかと模様を見てゐるのだらうと、察した彼は、
女は、まだ雨しづくの垂れさうなコーモリ傘と泥を歯の間に挟んだ下駄とを敷居の上に寝かせてから、高くつつた黄色い電燈の光を裏から受けてゐるので埃の浮いて見える
「すんまへん」と、云つた。||それから、気の毒さうに、彼の方へ掌を差出したのである。
小説家は、彼がこの家で生れたこと、あすこに見えるあの落書こそは彼の手になるものであること、しかも、思ひ出の積つてゐるその建物は、今は淫売婦の仕事場になつてゐること||それらを、彼女の前に語り出したくなつたほど、感傷に溺れきつてゐた故、女の請求をはねつけるだけの勇気もなく、一体何ほど与へればよいか、と細い声で質問するのであつた。
「すんまへん」と、また彼女はあやまるやうに云ひ、||「五十銭やつとくなはれ」と態度は優しく嘆願するのであるが、その精神には、今にも彼の懐中に手をさし入れるばかりの執念深さがあつた。
彼が、どうかして母や弟妹をこの窮乏から救ひ出したいものと、来る日も来る日も考へつめてゐたこの六畳の部屋は、薄い雨戸を真中に立てて、二つに区切られてゐ、あちら側にも人の動く
||女の声がののしるには「そんなあほらしいことできるかいな||そんなことはなア、十銭淫売のとこでも云うとくなはれ、うちはちとちがふ!」と、云ひ、見そこなつては困る、あほたんめと、附け加へるのであつた。||小説家は、その言葉に気をとられながら、それでは隣りにゐる女も五十銭の口なのであらう、だから、十銭のものよりも格式を以て客に臨んでゐると云ふわけであらうと考へ、妙なところに、||人はどん底まで来ても、まだこれより卑しい下のものが存在するのだと自分を慰めて、高い心を失はないでゐることに、||感心してゐた。||しかし、相手の客は、
それから、女は小説家の顔をちらとのぞき、そこに敷きつぱなしになつてゐる薄く細長い、浅黄の蒲団の上に倒れて見せた。||彼はそれには及ばぬと、幾度も繰りかへして説明しなければならなかつた。しかし、女はなかなか承知せず、執拗に誘ひの言葉をかけるのである。彼女は、男とはそんなものではないと十分悟つてゐるやうにふるまつてゐたので、無為に金を払ふのを想像できなかつたのであらう。
「それではすんまへん||銭もろといて遊んでもらはなんだら」と、またも云ふのであつた。それは労なくして賃銀を受取ることを恥しく思ふけなげな心持からと云ふよりは、むしろ、彼が遊ばないのを口実に全額でなくとも、五十銭の何割かの払戻しを請求しはしまいかと、恐れたが故であつたやうだ。
「ほんまに、えらいすんまへんな」と、やつと彼女は納得して云つたが、それでもまだ||「ほんまにかましまへんか」と、尚も云ひながら、そこに坐り直すと、バットの箱から吸ひさしの煙草を出し、ちやうど彼がつけた
女の煙草は短かかつたので、すぐになくなつた。小説家は自分の箱を荒れた畳の上に置いて、一本つけては
「いいえ、いけまへん」と、しをらしい表情をして見せたが、急に彼は自分の観察が誤つてゐるか如何かをためしたくなつて、何の悪い気もなく、
「あんたは、女とちがふな」と云つたのである。それを相手は随分と意地悪くきいたかも知れなかつた。どうして、そんなこと云ひ出したのだらうと、暫くの間、女は彼の顔を見つめてゐた。それから、両手を揉むやうにして、下うつむいて、嘆息した。
「やつぱり||分りまつか」と云つて黙り込み、それでもまた勇気を取戻したのか、
「そやけど、今までに一ぺんも見現されたことはおまへなんだ、ほんまだつせ||兄さんにかかつてはじめて||わやくやな」と、てれ臭さうに、力を入れて云つた。
思つた通り男だつたのかと、小説家はうなづいたが、何とも分らぬ変な気持になつて||「ほう、そいで」と云ひ出すと、相手はその顔色を読んで、すぐ答へた。
「ええ、ちやんと、そいで商売してますねん、をなごとしてな」と奇妙な陳述をするのであつた。小説家は飽かず、この相手を見てゐると、そいつは、女でないと云ふことが明白になつてから今までと著しく態度を変へた。すぼめるやうにしてゐた肩も張り、
「ほんなら、一本いただきまつさ」と、遠慮を打捨て、手を出して煙草の箱を取つたが、その指も骨ばつて来たやうにさへ思へたのである。そして、
「もうとしですよつてに、身体が堅うなつてしもて||」と云ひ、問ひに応じて、二十歳であると云つた。
「まだ子供の時は、これでも綺麗や云うて、お客がたんとつきましてな||なんにも知らんとな」と、女のやうに口へ手をやつて笑つたが、急に煙草を揉み消すと、
「あんまり、ゆつくり、ここにをられまへん||何やつたら、わてのホースにおいでやすな」と、彼(女)は小説家が奇怪な話に興味を持ち出したのを知つてさう誘ひ、ここでは部屋代をとられる故、散財をかけては済まぬ、自分のところへ来い、と云ふのである。「ホース」と云ふは、「ハウス」か「ホーム」の
「すぐ、そこだす、第二愛知屋だす」
そこで、小説家は偶然なことから、彼の懐古心を満足させ得たことを思ひ起し、今更のやうに、感慨深く部屋を見廻し、玩味し、剥げた壁や畳に、もはやかうした宿らしく人間の汁液が浸込み
れいの女装の男は階下へ、彼のために傘と下駄とを持つて行き、破れた障子の中へ首を突込むと、中の者に何やら云ひ、それから大きな声で、「おほきに」と、挨拶して彼を促して、外へ出た。
表通の方へは行かず「こつちから」と、路地の奥を突抜けると、木柵があつて南海鉄道のレールが走つてゐ、ずつと遠く天王寺公園に当つて、エッフェル塔のイルミネションが、暗い空に光を投げてゐる。||その黒い木柵の間を、彼(女)は着物も長襦袢もたくしあげて
「
(ここで、もう一度、小説家の
処々高低のある、雨で軟くなつた土をごぼごぼと踏んで、彼らは、人だかりの方へ近づいた。外套をすつぽり着た巡査が懐中電燈を照して色々と命令し、人夫風の男が、ぐつたりした老人の大きな身体を、寝台車に担ぎ込まうとしてゐた。それはトルストイのやうな顔をし、白い
「兵隊辰やな」と、女装の男は、癖で歯をガチガチ寒さうにならしながら、小説家に説明して云つた。その声に、巡査はちらと、こちらを見たが、人夫が寝台車の梶棒を握つて立ち上ると、「爺さん、もう戻つてくれるな」と云つた。さつきの浮浪者はそれに応じて、「旦那、兵隊辰はもう二度とここへ帰つてけえしまへん||今さき、触つたらもう冷たうおました」と低く云つたが、巡査は苦々しい顔をした。||「困つたやつちや||わしの責任になるがな」そして、今まで、爺さんの寝臥してゐた
車はゆつくりと去つて了ひ、人々も散るのであつた。あとには、雨が再び寒く降りはじめ、女装は、
「おお寒むやこと、すつかり冷えこんでしもたわ」と、云つた。広場はもとの静けさに戻り、あちらこちらに火が燃え、雨の中に明るさが溶けて見えるのである。それは浮浪者たちが、大きな穴を掘り、その中で物を||塵芥を燃しながら、その白つぽいむせかへるやうな煙の横に、うづくまつて、眠りをとつてゐるのであつた。
「今晩は」などと、その穴の側を通りながら、小説家の同伴者は声をかけ、
「降つて困りまんな」と云ふのである。
兵隊辰とは||歩きつつ、彼(女)が語つたところによると、以前は軍人で、日清日露も両方とも出征して勲章を貰つたが、心臓を
「なんでや」と、小説家はたづねた。彼は、さうした慈善病院の官僚的な冷い有様や、堅い寝心地の悪い木のベッドよりも、弱つた神経のうちから馴れた野宿を思ひ出すあの浮浪者魂のことを、考へてゐたにちがひない。
しかし、相手は、
「なんでだつしやろな」と無関心に答へ||「寒い、寒い、||兄さん、お酒はどうだす」と、云ふのであつた。なるほど、広場を過ぎたところに、焼酎屋があつたが、彼は、「さあ、金があるか知らん」と心配すると、
「いや、大丈夫」と、女装は力を入れて「おます」と、勝ち誇つた。先程、小説家が彼に五十銭与へた時、その財布の中を、のぞいて数へて了つたのだと云つた。それは商売からして、無意識に行ふのである。
||油障子を半分だけ閉めた中の、二すぢの長いテーブルには、人々が||ボタンのない外套の上から縄をしめたのや、羽織もなく寒々とした黄色い顔の男や、
「どうだす、ひとつ」と云ふのであつた。||「ちよつと
さうかも知れぬ。しかし、小説家は手を出すことをしなかつた。
やがて、簡単に酔ひが身体に廻ると、昂奮して女装は、多弁になり、ハンカチを出して胸にあてたりして、口惜しがるのであつた。それは、またしても、彼(女)が今まで本当は男であるのを発見されたこともなく、||また真実女であつて、その他の何ものでもないと、自分自身も永い間信じきつてゐたと云ふことで、
「やつぱり歳のすけないのは、骨がやはらかいし、肉もしまつてまへんよつてに、もうわてらと較べもんにならん位、よう売れます」と、感心して、彼は云つた。その弟が先日警察の手入れであげられ||そこで、肉体を発見され、釈放される時には、折角延ばして結つてあつた髪の毛を短く刈取られて了つた。||「早う生えてくれんと、商売でけしまへん、ほんまに無茶しよる」と、彼は憤慨して抗議した。「そんなことする罰は法律にはないさうだす」と、彼は知合の||同じく第二愛知屋に宿泊してゐる弁護士(!)に聞いたと云つた。色々と話の末、彼(女)は今後も完全な「女」として生きる決心を告げ、(さうした女としての暮し、その衣裳、殊に下着や腰にまとふものを身体につける時の悦びを昂奮した調子で彼は語つたが、妙な商売の思ひつきから、すでに救ふべからざる倒錯症にかかつてゐることを証拠立てた)||最後に、
「かうなつたからには、意地でも、どうかして子供を産んで見せます!」と、断言したのである。小説家は、その言葉が単に彼(女)の酔ひから無責任に放たれたものではなく、本当にさう信じてゐるらしいのを見て驚いた。
「なに、子供を産む||何ぬかしてんね、ど淫売の癖に、ふん、
皮膚の上にもう一枚皮膚ができたやうに、垢と脂とで汚れきつてゐるが、
「あア」と、彼は聯想するやうに云つた。「なア、ほかのやつの子を産むな、間男の子なんか産んでくれるな」||
それから、彼は急に泣き出して了ひ、「わいの
「何もそんなこと、最初から分つてたんや、わいは、大体、女の癖に新聞読んだりするやつは好かん」と、そむかれた彼のお神さんのことを罵つた。
その云ふことは前後取りちがへてゐ、
「ああ、やけぢや」と、彼は結んだ。
「兄さん、大分廻つてる、苦しさうや」と、女装は云つた。すると、
「あたりまへや」と、何故か彼は「女」には荒々しく云ひ、もう二日も前から飯を食つてゐないことを告白して、青い顔をした。小説家は、もしさうなら、如何に酒好きであるにしろ、焼酎なぞ飲む金で何故腹をこしらへなかつたか、と責めるのである。ひよつとすると、これは昔このあたりによく見かけたアルコール中毒かも知れぬ、と彼は考へた。
すると、外套の男は腰紐代りの縄に手を入れ、しごきながら、
「ほんまのこと云うたろか」と云ふのであつた。小説家は云つてくれと云ふ顔をした。
「そりやさうや、さうや、旦那の云ふ通りや、誰が銭持つてたら、空き腹に酒なんかあふるもんか、米のめしがほんまに恋しうてならんわ||をとつひも飯食うたんやあらしまへん、観照寺で接待ある云うよつてに、伊原つれて出かけたら、それが、うどんの接待だす、伊原にお前わいに半分残しとけ云うたのに、あの狸め、ちよつとも余さんと食うて了ひよる||なア旦那、大体伊原に、観照寺で接待あるよつてに行こか云うて誘うたのはわいだつせ、知らんとゐたらうどん一すぢも口に入らんとこや、なア、そやのに、恩知らずめが、どうだす、礼儀の知らんこと、後輩の癖にわいより先にお汁をかけて、ちよつと残しといてと頼んどいたのに、どんぶり鉢のはしも噛る位綺麗に食うて了ひやがんね、||それからと云ふものは、まる二日、仕事もないし!」
彼の後輩である伊原が何ものであるかも、また彼の仕事がどんなものであるかも、酔払ひは説明しなかつたが、そのたどたどしい独白に、この店の中で、強い焼酎に
「わいは、何のはなししてたんやつたかいな、||そやそや、旦那は酒飲む金で飯食へと説教してくれはつたんやつたな、どうも、おほきに」と皮肉に口を
「兄貴、酒おごらんか、は云へます、そやけど、云へまつか、めし一ぱい頼むとは」と彼が云へば、夜更けの酔払ひたちは口々に、「さうは云へん、云へんもんぢや」と、首を振るのであつた。||小説家は、そこに浮浪者につきものの、さやうな貴族精神を見て、悲しく思ひ||さう云ふはなしを俺にするからには、俺にめしをねだつてゐるのだらう、と云ふと、
「あたりました」と答へ、なんでや、見栄があるやろ、とからかふと、「あんたは、旦那やよつてに、かめへん」と、尚も小説家を悲しませるのである。
それから雨中に、のれんを排して出た女装の男は、頬に雨滴をあてて、
「おお、
「上等の店、おごつて貰ひまつせ」と、彼は云つて木賃宿の裏手の狭い道を||そこから薄暗い部屋に親子夫婦たちがくるまるやうにして寝てゐるのが
めざす店はまだ起きてゐた。
「
「こら、あしたや、けふはあかん」と、ぶつきら棒に返事した。
「あしたやて、ふん、あしたと云ふ日があるならば」と浮浪者は節をつけて応酬をして、「こら、見い、もうぢき、十二時やぞ、そしたら、あしたや、待つてたろ」と、箸をあげて、棚に置かれてある、アラビヤ数字のいやに大きいニッケルの眼ざまし時計を、指すのであつた。主人は冷く、相手にしなかつたので、彼はまた呶鳴りちらした。
「こら、わいの云ふことが分らんか、こら、人殺しめ!」
「なに云ひなはんねん、そんなこと」と、女装が驚いて制止すると、
「うるさい、女は黙つとれ」と、彼は
「いや、ほんなら、芋粥お代り」とおとなしく云つて、うまさうに、かぶりつくのであつた。||
彼が粥屋の主人に向つて、人殺しと罵つたのは、何も理由のないことではなかつた。その店を出ると、そんなことを云ふなと止めたくせに女装の男が先に立つて、問ひもせぬに小説家に語つた所によると、||もう二年前にもなるが、その秋のちやうど夕飯頃、あの店が粥を食ふ零落者で混んでゐた時、ある男が(外套は、あら、田辺音松や、やつぱりわいの友だちや、と云つた)||その田辺が二銭払つて出ようとすると、主人は三銭置いて行けと請求し、何故かと聞けば、一銭の漬物を食つたから、と云ふので、田辺は驚き、いや、そんな覚えはない、と云ひ張り、この漬物皿は横にゐたやつが平げたのやと述べたが、主人は更に聞き入れず「食つた」「食はぬ」と争ひになり、果は、田辺がどんと胸をつかれると、悪いことに空き腹がつづいて力の抜けてゐた彼は、そのまま仰向けに倒れて敷石で頭を打ち||そして、もう二度と動かなかつたのである。調べた結果、頭蓋骨が折れたのが死因と分つた。もちろん傷害致死で主人は行つたが、それも三四ヶ月すると、もう店を開いてゐたと云ふ。||外套は力んで、「今に仇をとつたる」と云ひ、「そやけど、あすこの芋粥はほんまにうまい」とほめて、そんな店を潰すに忍びないと云ふやうな顔をした。
話が終ると、突然、外套は「おほきに、御馳走さん」と云ふなり、眠つた低い家々の間を、そこには雨の中に傘をさして淫売婦たちが辻々に立つてゐるのであつたが||駈出したのである。
「待て!」と、小説家は呶鳴つた。寝るところがあるか、と心配したのである。
「今夜は、腹も張つたし、酒ものんで、ええ
「待て!」と再び小説家は云つて、幸ひこの「女」がすすめるから、一しよに第二愛知屋に泊らう、と誘ふのであつた。
すると、不思議なことが起つた。||今まで、いやに辛く女装に当つてゐた外套は急に叮嚀な言葉づかひになり、「姉ちやん、えらいすんまへんな、屋根代もなしに、厄介になつたりしまして」と挨拶するのである。||思ふに彼は彼の逃げた細君以来、女にはよからぬ感情を抱いてゐたので、自然、女装に対しても冷かな態度を取つてゐたが、今は彼(女)は
その証拠には、彼が彼女の「ホース」に行きついてからは||大戸をガラリとあけて女装が帳場に坐つてゐるキナ臭い中年の男に「頼んまつせ」と申入れた時も、うしろについて彼はぺこぺこと頭をさげたし、また広い階段の途中ですれちがひ、彼(女)から、「今晩は」と、呼びかけた、赤い顔に
彼(女)の部屋では、浮浪者は益々小さくなつて隅の方に坐り、しきりとボタンのない破れ外套の前を合せ、巻いた藁縄をはづかしさうに触つて見るのである。そしてすでに寝てゐる弟や(なるほどその髪の毛は最近に
それほどだつたから、朝になり、みんなが眼ざめた時、すでに遠慮深い彼の姿は消えて、見られなかつたが、誰も不思議にも思はず、眠つてゐる者たちを驚かさないやうにと、
||それは三畳に足らぬ部屋であつた。押入はなく、埃で白い二三の風呂敷包、バスケット、土釜、鍋鉢の炊事道具の類、それに小さな置鏡、化粧水の瓶なぞが棚を吊つて載せられてあり、壁にはりつけられ、一方の隅の破れてゐる新聞附録ものらしい美人画は、彼ら兄弟の扮装のモデルであらう。
彼らと
朝になると、小説家は、もはや彼らと別れを告ぐべきであると思ひ、猫みたいに荒い銀色のヒゲの二三本生えてゐる老婆の顔を見ながら、女装の男に、昨夜の部屋代の一部を負担しようと申出た。すると、彼女は手を振り、口を押へて笑ひながら、
「それはもう、ちやんと、兄さんがお
「いくら抜いた」ときけば、「五十銭」と返事した。
母親は「御飯でも食べて行つとくなはれ」と、お世辞を云つたが、それは嘘であらう。
雨はあがつた、しかし、陽の光は射さなかつた。||小説家は表へ出ると、昨夜の出来事や、逢つた人々を思ひ出さうとしたのだが、何だか、ぼんやりとしか浮びあがらなかつた。電車の狭いガード下で、そこは誰彼となしに小便すると見え、コンクリートは湿気で壊れ、白い
それらの浮浪者相手に僅かの商売をする露店が立つてゐ||魚の骨や頭を、野菜の切れ屑などと一しよに塩で煮込んだのやら||それは暖かさうに泡を立て、
彼女が金を受取つて帰ると、道具屋はもう一度、今の品物を一つ一つ手に取つて調べてゐたが、満足して、それを、すぐ陳列するのであつた。それから、まだ立つてゐる小説家の方を、めがね越しに見て、少し考へた後、
「その傘はもういらん、けふは天気になる、どや、買うたろか」と、云つた。小説家は、この親爺がコーモリ傘だけを売れと云ひ、高歯の下駄のことについては言及しなかつたことに、雨はあがつたが、このあたりの深い泥濘を顧て、苦笑せざるを得なかつた。何か返事をしてやらうとした時に、ふいに、また彼を引張るものが||女であつたが、煮込屋の前まで連れて行くのであつた。||
見ると、それは大きな肩掛をし、片一方の眼のいやに小さな、
小説家はどうしたものかと思つたが、取りあへず、あすこの古道具屋に売つては如何かと云ふ旨を彼女に伝へると、「あいつら、無茶苦茶に値切りよりますがな」と云つて、きかなかつた。そこで、彼は仕方なく十銭白銅を出すと、彼女は少しもぢもぢとして困つた様子であつたが、相手が面倒臭くなつて、全部呉れはせぬか、と期待してゐるやうでもあつた。||だが邪魔者が入つた||「両替したろか、赤銭やつたら、なんぼでもあるわ、重うてならん」と云ふ声が||れいの煮込鍋の下に身体を暖め、時々いい気持にそこへ坐つたまま居眠してゐた、髪の毛の薄い少年であつたが、腹巻の中から、新聞紙に包んだ銅貨を出すのである。もちろん、彼は重いほど持合はせてゐるわけでもなかつた。
肩掛の女は六銭握ると、おほきにと礼を云ひ、考へて、少し離れた、屑のすし屋で買物をし、小説家の方をちらと見てから、小走にガードのあちらへ、駈去るのであつた。少年も亦、それを見送り、小説家の手に残つた、よれよれの市電切符を指して、
「ガゼビリめ、パス一枚でヤチギリやがつたな、||ほんまに不景気なはなしや」と、説明するのであつた。
「ふむ」と、小説家は咽喉をつまらせて、今の女の一生を思ひ、それから、少年を||その顔は、腫れあがつて赤味を帯び、眼も細く、破れた着物の下には
彼は今の女に、不景気なと罵つた手前、自分が如何に景気がよいかを、誇り出すのであつた。||
「こなひだもなアイノリ(二円)になつた日があつたんやぞ||みんなオツチョコチョイで、オケテしもたけどな」
オツチョコチョイとは、あすこで、ラッコの襟巻をし、金縁めがねをかけた冷い眼の男が開いてゐるやうな、路上の賭博であると、彼はつけ加へた。
「へえ」と、小説家は感心してやらねばならなかつた。
「五十円もウネツテたまつたら、病院に入つてこまそと思ふんやけど」
「どこが病気や」
「どこが、悪いのかなア」と
「ほんまに、はよ、治しときや、手おくれになつてしもたら、あかんさかいな」と、気がよささうな煮込屋の主人は、横から忠告するのである。
「うん、さう思うてんねけどな」と、少年は、一銭ばくちで五十円を勝ち貯める日がなかなか来ぬことを考へてゐるやうな眼つきをし、それから||「おつさん、モヤ一本頼む」と云ふと、「おいな」と、主人は胃散の大きな罐の中から、吸口をちやんとつけたバットを取出して、一銭で売つてやるのであつた。
小説家はその夜、難波で、新聞記者某氏に出逢ひ、釜ヶ崎のはなしをすると、某氏は先日もこんなことがあつた、と語るのであつた。||夜更けて、あすこの側にある警察へ、女の行路病者が
新聞記者某氏は「ルンペンの夫は悲し、と云ふ物語や、どや、小説にならんか」と云つた。
小説家は
||現在の釜ヶ崎密集地域も明治三十五年頃までは、僅かに紀州街道に沿うて、旅人相手の八軒長屋が存在したるに過ぎない。
その後、東区の野田某氏が始めて、労働者向きの低廉なる住宅を建設して、労働者を収容したるが、尚当時に於ても依然として、百軒足らずの一寒村に過ぎなかつた。
以後、大阪市の発展に伴ひて、下寺町広田町方面に巣食つてゐた細民は次第に追ひ出されて南下し、安住の地を求め、期せずして、集団したるが、現在の釜ヶ崎にして、そこに純長町細民部落を形式するに到り、下級労働者、
児童の大半は就学せず、すでに就学せるものも、三四年の課程を終へれば登校せず、金銭を賭して遊ぶ子供を所々に見受ける。
下水の施設なく不潔なること言語を絶するものがある。表側に於ては左程にも思はれぬとも、裏側に於ては、甚だしいものがある。上水の施設もないところ多く、井戸水を使用してゐる。||云々。
(昭和八年三月)