一
四月の日曜と祭日、二日つづきの休暇を利用して、わたしは友達と二人連れで川越の喜多院の桜を見物して来た。それから一週間ほどの後に半七老人を訪問すると、老人は昔なつかしそうに云った。
「はあ、川越へお出ででしたか。わたくしも江戸時代に二度行ったことがあります。今はどんなに変りましたかね。御承知でもありましょうが、川越という土地は松平
老人の昔話はそれからそれへと続いて、わたし達のようにうっかりと通り過ぎて来た者は、却って老人に教えられることが多かった。そのうちに、老人はまた話し出した。
「いや、この川越に就いては一つのお話があります。あなた方はむかし一書き物を調べておいでになるから、定めて御承知でしょうが、江戸城大玄関先きの一件······。川越次郎兵衛の騒ぎです。あれもいろいろの評判になったものでした」
「川越次郎兵衛······何者です」
「御承知ありませんか。普通は次郎兵衛と云い伝えていましが、ほんとうは
どちらにしても、私はそんな人物を知らなかった。それに関する記録を読んだこともなかった。
「御存じありませんか」と、老人は笑った。「なにしろ幕府の秘密主義で、見す見す世間に知れていることでも、成るべく伏せて置くという習慣がありましたから、表向きの書き物には残っていないのかも知れませんな。いつぞや『金の蝋燭』というお話をしたことがありましょう。その時に申し上げたと思いますが、江戸の御金蔵破り······。あの一件は安政二年三月六日の夜のことで、藤岡藤十郎と野州無宿の富蔵が共謀して、江戸城内へ忍び込み、御金蔵を破って小判四千両をぬすみ出したので、城内は大騒ぎ、専ら秘密にその罪人を詮議している最中、その翌日、則ち三月七日の昼八ツ(午後二時)頃に、何処をどうはいって来たのか、ひとりの男が本丸の表玄関前に飄然と現われて、詰めている番の役人たちにむかって『今日じゅうに天下を拙者に引き渡すべし。渡さざるに於いては天下の大変
その男は手織縞の綿入れを着て、脚絆、草鞋という
場所が場所ですから、こんな人間をいつまで捨てて置くわけには行きません。
してみると、川越藩の領分内の百姓に相違あるまいというので、早速にその屋敷へ通知して、次郎兵衛を引き取らせる事になりました。昔はどうだったか知りませんが、幕末になっては相手が乱心者と判っていれば、余りむずかしい詮議もありませんでした。川越の屋敷でも迷惑に思ったでしょうが、武州川越と笠に書いてあるのが証拠で、自分の領内の者を引き取らないと云うわけには行きません。殊にそれが御城内を騒がしたのですから、恐縮して連れ帰ることになりました。
そこで、第二の問題は、その次郎兵衛がどうして御玄関先きまで安々と通りぬけて来たかということで、途中の番人も当然その責任を免かれない筈です。そうなると、ここに大勢の怪我人ができる。それも宜しくないと云うので、かの次郎兵衛は天から落ちて来たという事になりました。いや、笑っちゃあいけない。昔の人はなかなか巧いことを考えたものです。つまり
そうすると、今度は川越の屋敷から本人を突き戻すと云って来ました。成程その笠には武州川越次郎兵衛と書いてあるが、屋敷へ連れ帰って調べてみると、彼が所持する
その日の夕六ツ頃に、町奉行所の指図で八丁堀同心坂部治助、これは『大森の鶏』でおなじみの人です。この坂部という人が、丁度そこに来合わせていた住吉町の竜蔵の子分二人を連れて、川越藩の
これで済んでしまえば、何が何やら判らずじまいです。それにしても江戸城表玄関に立ちはだかって、天下を即刻拙者に引き渡すべしと呶鳴ったなぞは、権現さま以来ただの一度もない椿事ですから、その噂は自然に洩れて、忽ちぱっと世間に広がりました。そいつも御金蔵破りの同類で、白昼大胆にも御玄関先きから忍び込もうとしたのだなぞと、
しかし、坂部さんは縄ぬけを正直に云いません。どこまでも旋風に巻いて行かれたように話しているのです。わたくしの方でも大抵は察していますから、野暮な詮議もしませんが、さてどこから手を着けていいか見当が付きません。笠に書いてある川越次郎兵衛、臍緒書の粂次郎、この二人の身許を探るのが先ず一番の近道ですが、今と違って汽車は無し、十里以上も離れた土地になると、その探索がなかなか不便です。
そんな事でぐずぐずしているうちに、それからそれへと御用が湧いて来るので、旅へ出るような暇がありません。もう一つには、その次郎兵衛という奴は気違いらしい。折角苦労して探し当てたところで、やっぱり気違いであったと云うのでは、どうも張り合いがない。坂部さんには気の毒ですが、思い切って働いてみようという気も出ないので、かたがた一日延ばしにもなってしまったのです。ところがあなた······。世の中というものは不思議なもので、その次郎兵衛とわたくしとは、どこまでも縁が離れないのでした」
二
『金の蝋燭』の一件も片付き、ほかの仕事も片付いたのは、四月の
外神田に
「ねえ、親分。この頃はお城のなかにいろいろの事があるそうですね」
金蔵破りは勿論、東照宮のお使一件も、皆ここらまで知れ渡っているのである。半七も先ずいい加減に挨拶していると、正兵衛は又云った。
「お城のお玄関に突っ立った男は、川越の次郎兵衛というのだそうですね」
恐らくお城坊主などが面白半分に
「御承知でもありましょうが、この町内の番太郎に要作というのが居ります。女房はお霜といいまして、夫婦ともに武州川越在の者で、八年ほど前からここの番太郎を勤めて居りますが、二人ながら正直者で町内の評判も宜しゅうございます。その要作に次郎兵衛という弟がありまして······」
川越の次郎兵衛、その名を聞かされて半七も俄かに眼をひからせた。
「それじゃあ何ですかえ。町内の番太郎は川越の者で、弟は次郎兵衛というのですかえ」
「実はその次郎兵衛が江戸へ奉公したいと云って、川越から三月の節句に出て来ましたそうで······。それが五日の日から
「番太郎の兄貴の家にいたのですね」
「そうでございます。兄を頼って来ましたので、要作から手前どもに話がありまして、こちらのお店で使ってくれないかという事でしたから、ともかくも主人に相談してみようと返事をして置きますと、その本人がすぐに姿を隠してしまいましたので、兄の要作もひどく心配して居ります」
「お前さんはその次郎兵衛という男に逢いましたかえ」と、半七は
「表向きに名乗り合いは致しませんが、番太郎の店にいるのをちらりと見たことがございます。年は十九だそうですが、色のあさ黒い、眼鼻立ちのきりりとした、田舎者らしくない男で、あれなら役に立ちそうだと思って居りましたが······」
「国へ帰ったという知らせも無いのですか」
「知らせも無いそうです。尤も要作夫婦も忙がしい体ですから、ただ心配するばかりで、別に聞き合わせてやると云うこともしないようですが······」
その以上のことは番頭も知らないらしかった。しかしそれだけの事を偶然に聞き出したのは、意外の掘出し物である。江戸城へはいりこんだ本人は川越の次郎兵衛でなく、宇都宮の粂次郎であるらしいが、いずれにしても笠の持ち主を見つけ出せば、それからひいて其の本人を突き留めることも出来る。半七はよろこんで万屋の店を出た。
四月になって、番太郎の店でも焼芋を売らなくなった。駄菓子とちっとばかりの荒物をならべている店のまえに立つと、要作は町内の使で何処へか出たらしく、女房のお霜が店番をしていた。それを横目に見ながら、半七は隣りの自身番へはいると、
「早速だが、ここの番太の夫婦はどんな人間ですね。川越の生まれだそうですが······」
「へえ」と、五平は俄かに顔を曇らせた。「なにかのお調べですか」
「御用だ。正直に云ってくれ」
「要作は三十一で、女房のお霜はたしか二十八だと思います。川越の者に相違ございません」
「要作には次郎兵衛という弟があるそうだね」
「要作の弟ではございません。女房の弟だと聞いていますが······」と、五平はいよいよ迷惑そうな顔をしていた。
自身番の者も城中の一件を知っているのである。川越の次郎兵衛のことも知っているらしい。しかもそれが番太郎の親類縁者であるということが発覚すると、その時代の習いとして一町内が種々の迷惑を
「いや、心配する事はあるめえ」と、半七は笑いながら云った。「お城の一件は次郎兵衛じゃあねえらしい」
「でも、笠に書いてあったという噂で······」と、五平は釣り込まれて口をすべらせた。
「笠は次郎兵衛の物だろうが、その本人じゃあねえようだ。第一に年頃が違っている。誰かが次郎兵衛の笠を持っていたらしい。そうと決まれば別に心配することはねえ、せいぜい叱られるぐらいの事で済むわけだ」
「そうでしょうね」と、五平もやや安心したようにうなずいた。「しかし親分、その次郎兵衛のゆくえが知れないので心配しているのです」
「むむ、そうだ」と、半七もうなずいた。「ここへ次郎兵衛が出て来て、その笠は誰に貸したとか、どこで取られたとか、はっきり云ってくれれば論はねえのだが、ゆくえが知れねえには困ったな。なんにも心あたりはねえのかえ」
「番太の夫婦も心あたりがないと云っています。なにしろ八年も逢わずにいた者が不意に出て来て、また不意に消えてしまったのですから、まったく天狗にでも攫われたようなもんで、なにが何だか判らないそうです。成程そうかも知れません」
「十九といえば、もう立派な若けえ者だ。いくら江戸馴れねえからと云って、まさかに
「いや、それですよ。要作は隠していますが、女房がちょいと話したところでは、次郎兵衛は義理の兄とすこし折りが合わない事があったようです。本人は江戸へ出て、武家奉公でもするつもりであったらしいのを、要作が承知しない。おまえ達が武家に奉公すると云えば先ず
五平は同情するように云った。
「そりゃあ本当に可哀そうだ」と、半七も顔をしかめた。「だが、今も云う通り、次郎兵衛は笠だけの事らしいから、あんまり心配しねえがいいと、番太の夫婦にも云い聞かせて置くがよかろう」
「そうすると、次郎兵衛には係り合いが無くって、唯その笠を誰かに持って行かれたと云うだけの事なのでしょうか。それが本当なら、要作も女房もどんなに喜ぶかも知れません。そこで親分。実はまだこんな事もあるのですが······」と、五平は表を窺いながらささやいた。「日は忘れましたが、なんでも先月末だと思います。わたしがこの店の先きに出ていると、年頃は三十四五の小粋な年増が来かかって、隣りの店を指さして、あれが番太の要作さんの
「その女は、江戸者かえ、他国者かえ」と、半七は訊いた。
「江戸ですね。いや、それに就いてまだお話があります。その晩、もうすっかり暮れ切ってしまってから、十七八の娘がまた隣りへ尋ねて来ました。私はそのとき奥で夕飯を食っていましたが、手伝いの三吉の話では、これも女房に叱られて追い出されたそうです。
こうなると、どうしても隣りの女房を一応詮議するのが当然の順序である。
「じゃあ、番太の女房を呼んでくれ」と、半七は云った。
三
五平に連れられて、番太郎の女房が来た。お霜は二十七八で、眼鼻立ちも
「いや、そんなに行儀好くするにゃあ及ばねえ」と、半七は
「親分に訊かれたことは、なんでも正直に云うのだぜ」と、五平もそばから注意した。
「次郎兵衛はおめえの弟で、川越から江戸へ奉公に出て来たのだね」と、半七は訊いた。「それが三月の三日に来て、五日からゆくえが知れなくなったと云うのは本当かえ」
「はい。五日の夕方にどこへかふらりと出て行きました、それぎり音も沙汰もございません」と、お霜は答えた。
五平の話したとおり、本人は屋敷奉公をしたいと云い、要作は町奉公をしろと云い、その衝突から飛び出したのであろうと、彼女は云った。しかし弟は年も若し、初めて江戸へ出て来たのであるから、むやみに家を飛び出しても、ほかに頼るさきはない筈である。さりとて故郷へ帰ったとも思われず、どうしているか案じられてならないと、彼女は苦労ありそうに云った。
番太郎へたずねて来た二人の女に就いて、彼女はこう説明した。
「三月二十八日のお
「女はとうとう素直に帰ったのだな」と、半七は
「はい。帰るには帰りましたが、帰りぎわに何だか怖いことを云って行きました」
「どんなことを云った」
「あの人にそう云ってくれ。あたしは決しておまえを唯では置かない。それが怖ければ浅草へたずねて来いと······」
「その女は江戸者だな」
「着物から口の利き方まで確かに
「おめえの弟は田舎者でもきりりとしていると云うから、素早く江戸の女に
「云いませんでした。次郎兵衛は知っているのでございましょう」
「それから、また別に若けえ女が来たと云うじゃあねえか。それはどうした」
「それは、あの······」と、お霜は云い淀んだように眼を伏せた。
「それはおめえも識っている女だな。おなじ村の者か」
お霜はやはり俯向いていた。
「なぜ黙っているのだ。その女は弟のあとを追っかけて来たのか」と、半七は畳みかけて訊いた。
「いえ、そういうわけでは······」と、お霜はあわてて打ち消した。
「それにしても、おめえも識っている女だろう。名はなんというのだ」
「お磯と申しまして、おなじ村の者ではございますが、家が離れて居りますのと、わたくしどもは久しい以前に村を出ましたのでよくは存じません。親の名を云われて、初めて気がついたくらいでございます。これも江戸へ奉公に出て来て、浅草の方にいるとばかりで、くわしいことを申しませんでした」
「これも浅草か」
「これもやはり弟に逢わせてくれと申しまして、なかなか素直に帰りませんのを、わたくしが叱って追い帰しました」
「おめえの弟はよっぽど色男らしいな」と、半七はまた笑った。「年増に魅こまれ、娘に追っかけられ、あんまり豊年過ぎるじゃあねえか。それだから天狗に攫われるのだ。そうして、女二人はそれっきり来ねえのか」
「まいりません」と、お霜ははっきり答えた。「それぎりで再び姿を見せません」
「お磯の親はなんというのだ」
「駒八と申します」
駒八は相当の農家であったが、いろいろの不幸つづきで今は衰微しているという噂であると、お霜は付け加えて云った。
「じゃあ、まあ、きょうはこの位にしよう」と、半七は云った。「おめえは今度のことに就いて、亭主と夫婦喧嘩でもしやあしねえか」
お霜は黙っていた。
「弟の肩を持って、亭主と喧嘩でもしやあしねえか。ふだんもそうだが、こういう時に夫婦喧嘩は猶さら
「はい」と、お霜は口のうちで答えた。
次郎兵衛は勿論、ほかの女たちが立ち廻ったならば、すぐにここの自身番へとどけろと云い聞かせて、半七はここを出た。それから半丁ほども行くと、八丁堀の坂部治助に出逢った。坂部は市中見廻りの途中であった。
「半七。天狗はどうしてくれるのだ。不人情な事をするなよ」と、坂部は笑いながら行き過ぎた。
冗談のように云ってはいたが、坂部は半七の怠慢を責めたのである。不人情と責められては、いよいよ捨て置かれなくなったので、彼はその晩、子分の亀吉を自宅へ呼び付けた。
「おい。御苦労だが、二、三日の旅だ。船に乗ってくれ」
「船へ乗って何処へ行きます」
「花川戸から乗るのだ」
「川越ですか」と、亀吉はうなずいた。「なにか見当が付きましたかえ」
半七から今日の話を聞かされて、亀吉は又うなずいた。
「ようがす。そんな事なら訳はありません。わっし一人で行って来ましょう」
「二人で
相当の路用を渡されて亀吉は帰った。あくる日の午過ぎに、半七は再び外神田の自身番を見まわると、五平は待ち兼ねたように訴えた。
「どうも困ったものです。きのうもお前さんにあれほど云い聞かされたのに、番太の女房はゆうべも夫婦喧嘩をはじめて、女房はどこへか出て行ってしまったそうで······」
「きょうになっても帰らねえのか」
「帰りません。亭主の要作も心配して、もしや身でも投げたのじゃあ無いかと、町内の用を打っちゃって置いて、朝から探して歩いているのです」
「仕様がねえな」と、半七は舌打ちした。
五平の話によると、お霜は八年振りで尋ねて来た弟をひどく可愛がっているらしく、その肩を持って亭主と衝突することがしばしばある。次郎兵衛の家出も、要作が無理押しに
「となりの喧嘩はわたし達も薄々知っていましたが、また始まったのかといい加減に聞き流していましたら、飛んだ事になってしまって、親分にも申し訳がありません」と、五平は恐縮していた。
まさかに死ぬほどの事もあるまいと思うものの、気の狭い女は何を仕でかすか判らない。困ったものだと半七も眉をひそめた。
四
それから足掛け四日目の夕がたに、亀吉が帰って来た。
「親分。大抵のことは判りました」
「やあ、御苦労。まあ、ひと息ついて話してくれ」と、半七は云った。
「まず本人の次郎兵衛の方から片付けましょう」と、亀吉はすぐに話し出した。「次郎兵衛の
「二月の晦日に船に乗ったら、明くる日の午頃には着く筈だ。ところが、次郎兵衛は三日に姉のところへ尋ねて来たと云う。そのあいだに二日の狂いがある。その二日のあいだに、どこで何をしていたかな。それからお磯の方はどうだ」
「お磯の家は相当の百姓だったそうですが、親父の駒八の代になってから、だんだんに
「お磯は売られて来たのか」と、半七はすこし意外に感じた。「そこで、そのお磯は次郎兵衛と訳があったのか」
「そうじゃあねえと云う者もあり、そうらしいと云う者もあり、そこははっきりしねえのですが、なにしろ仲好く附き合っていて、次郎兵衛が江戸へ出るときは、お磯も
「川越辺では今度の一件を知っているのか」
「城下では知っている者もありましたが、
「お磯の勤め先は吉原のどこだ」
「それがよく判らねえので······」と、亀吉は首をかしげながら云った。「江戸の
「その女衒はなんという奴だ」
「戸沢長屋のお
「女か」
「亭主は化け地蔵の松五郎といって、女衒仲間でも幅を利かしていた奴ですが、二、三年前から
「番太郎へ次郎兵衛をたずねて来たのは、そのお葉だな」
「それに相違ありません。あしたすぐに行ってみましょう」
「むむ。今度はおれも一緒に行こう」
あくる朝の四ツ(午前十時)頃、半七と亀吉は
「いい所で逢った。おめえは土地っ子だ。手をかしてくれ」と、半七は云った。
「なんです」と、庄太も摺り寄って来た。
あらましの話を聞かされて、庄太は笑った。
「戸沢長屋のお葉······。あいつなら好く識っています。雨の降るのに大勢がつながって出かけることはねえ。わっしが行って調べて来ますよ」
「だが、折角踏み出して来たものだ。どんなところに巣を食っているか、見てやろう」
三人は傘をならべて歩き出すと、やがてお葉の家の前に出た。小綺麗な
「馬鹿に長げえなあ。雨のふる中にいつまで立たせて置くのだ。親分、どうしましょう」
「まあ、待ってやれ。なにか大事の用があるのだろう」
やがて庄太は引っ返して来て、かの男は馬道の増村という大きな菓子屋の番頭宗助であるが、親分たちにちょっとお目にかかりたいから、御迷惑でもそこまでお出でを願いたいと云う。それには仔細があるらしいから、ともかくも来てくれまいかと云った。
余計な道草を食うことになると思ったが、半七らもよんどころなしに付いてゆくと、宗助は三人を近所の小料理屋の二階へ案内した。庄太に紹介されて、宗助は丁寧に挨拶した上に、飛んだ御迷惑をかけて相済みませんと繰り返して云った。
「実はね、親分」と、庄太は取りなし顔に云い出した。「今この番頭さんから頼まれた事があるのですが、お前さん、まあ聴いてやってくれませんか」
その尾について、宗助も云い出した。
「御迷惑でございましょうが、まあお聴きを願いたいのでございます。手前の主人のせがれ民次郎は当年二十二になりまして、若い者の事でございますから、少しは道楽もいたします。ところが、先月以来戸沢長屋のお葉という女が時々に店へ参りまして、若主人を呼び出して何か話して帰ります。それがどうも金の無心らしいので、手前もおかしく思って居りますと、おとといは見識らない男を連れて参りまして、相変らず若主人を表へ呼び出して、なにか
「そこで、どうでしょう、親分」と、庄太は引き取って云った。「なまじい番頭さんなぞが顔を出すよりも、わっしが
「そこで、よもやとは思うが、若旦那とお葉とはまったく色恋のいきさつは無いのですね。相手は亭主持ちだから、そこをよく決めて置かないと、事が面倒ですからね」と、半七は宗助に訊いた。
「さあ、わたくしには確かなことは判りませんが······」と、宗助は考えながら答えた。「唯今も申す通り、本人は決してそんな覚えはないと申しております」
女中が酒肴を運び出して来たので、話はひと先ず途切れた。
「お
「そうでございます······米屋の息子さん、呉服屋の息子さん、小間物屋の息子さん、ほかに三、四人、どの人もここらでは旧い
「お葉はおまえさんの店ばかりで、ほかのお友達の家へは行きませんか」
「さあ、どうでございましょうか」
「若旦那はどんな遊び方をします」
「それはよく存じませんが、なんでも太鼓持や
「
「はい、はい。それは承知して居ります」
勿論そのくらいの事は覚悟の上であるから、いつまでもあと腐れのないように宜しくお願い申すと、宗助は云った。
五
増村の番頭に別れて料理屋を出ると、
「まだ降っていやあがる。親分、これからどうします」と、庄太は
「お葉の
「ようがす。受け合いました」
庄太は二人に別れて立ち去った。
「じゃあ、これで引き揚げですかえ」と、亀吉は少し詰まらなそうに云った。「これじゃあ浅草まで酒を飲みに来たようなものだ」
「その酒も飲み足りねえだろうが、まあ我慢しろ。これでお城の一件もどうにか当たりが付きそうに思うのだが······」
「そうですかねえ」
「まだ判らねえか」
「判りませんねえ」
「じゃあ、まあ、ぶらぶら歩きながら話そうか」
ふたりは吾妻橋の袂から、往来の少ない大川端へ出て、傘をならべて歩いた。
「実は今、あの番頭の話を聴いているうちに、おれはふいと胸に泛かんだことがある。おめえ達が聴いたら、あんまり夢のような当て推量だと思うかも知れねえが、その当て推量が見事にぽんと当たる例がたびたびあるから面白い」
「そこで、今度の当て推量は······」
「まあ、こうだ」と、半七はうしろを見かえりながら云い出した。「お城の一件は、あの息子たちの趣向だな」
「悪い趣向だ。途方もねえ。なんぼ何だってそんな事を······」と、亀吉は問題にならないと云うように笑っていた。
「それだから夢のようだと云っているのだ。おれの当て推量はまあ斯うだ。おめえも知っているだろうが、この頃は世の中がだんだんに変わって来て、道楽もひと通りのことじゃあ面白くねえと云う連中が殖えて来た。三、四年前の
「違げえねえ」と、亀吉は思わず叫んだ。「わっしはすっかり忘れていた。そうだ、そうだ。石屋の安の野郎の二代目だ。親分は覚えがいいな」
今から七、八年以前のことである。神田川の
江戸末期の頽廃期には、こんな洒落をして喜ぶ者が往々ある。今度の一件もその二代目ではないかと、半七は想像したのであった。それを聞いて、亀吉も俄かに共鳴した。
「親分、夢じゃあねえ、確かにそれですよ。安のような職人とは違って、みんな大店の若旦那だから、さすがに自分が出て行くと云う者はねえ。取巻きの太鼓持か落語家のうちで、褒美の金に眼が
「だが、その太鼓持か落語家は、相当に度胸がなけりゃあ出来ねえ芸だ。まじめじゃあ助からねえと思って、気ちがいの振りをしたのだろうが、川越の屋敷から町奉行所へ引き渡される途中で縄抜けをしている。これが又、誰にでも出来る芸じゃあねえから、なにかの素姓のある奴に相違ねえ。庄太に調べさせたら、大抵わかるだろう」
「お葉も係り合いがあるのでしょうね」
「川越次郎兵衛の笠がある以上、お葉もなにかの係り合いがありそうだ。ともかくもお葉はその一件を知っていて、増村の息子を嚇かしているのだろう。それが、表向きになりゃあ、唯じゃあ済まねえ。本人は勿論、親たちだって飛んだ巻き添えを食うのは知れたことだ。息子も今じゃあ後悔して、蒼くなっているに相違ねえ。そこへ附け込んで、お葉は口留め料をゆすっている。それも相手を見て、大きく吹っかけているのだろう。よくねえ奴だ」
「お葉と一緒に増村へ行ったという奴は何者でしょう」と、亀吉は訊いた。
「それは判らねえが、あの辺をごろ付いている奴か、女衒仲間の悪い奴だろう。亭主が中気で寝ていると云うから、お葉も男の一人ぐらいは拵えているかも知れねえ」
こういう時に、路ばたの露路から不意に飛び出した女がある。彼女は傘もささずに、
「あ、いけねえ」
半七は傘をなげ捨てて、これも跣足になって駈け出した。今や大川へ飛び込もうとする女の帯は、うしろから半七の手につかまれた。亀吉もつづいて駈け寄ると、露路の中から男と女が駈け出して来た。
「おめえは番太の女房だな。まあ、おちついておれの顔をよく見ろ」と、半七は云った。
半気違いのようになっている女房も、半七と知って急におとなしくなった。あとから追って来たのは、お霜の亭主の要作と、この露路の奥に住んでいるお高という女であった。
雨のなかではどうにもならないので、人々はお霜を取り囲んで露路の奥へはいった。ここらには囲い者の隠れ家が多い。お高もその一人で、以前は外神田の番太郎の近所に住んでいて、お霜に洗濯物などを頼んだこともある。お霜は夫婦喧嘩の末に、あても無しに我が家を飛び出して、柳原のあたりをうろ付いていると、あたかもむかし馴染のお高に出逢った。
お高はもとより詳しい仔細を知らない。お霜も正直には云わないで、唯ひと通りの夫婦喧嘩のように話していた。それにしても一応の意見を加えて自宅へ戻らせるのが当然であるが、お高はお霜に味方して、当分はわたしの家に隠れていろと云った。
心あたりを探し尽くして、もしやとここへ尋ねて来た要作は、女房のすがたを見いだして呶鳴りつけた。お霜も負けずに云いかえした。お高もお霜の加勢をした。女ふたりに云い込められて、
その留め男が半七であると判って、要作もお高も恐縮した。濡れた着物を拭くやら、汚れた足を洗わせるやらして、彼等はしきりに半七にあやまった。
「いや、あやまる事はねえ。そこで、番太のかみさん。おめえにもう一度訊きてえことがある」
半七はお霜を二階へ連れてあがると、そこは三畳と横六畳のふた間で、座敷の床の間には
「もうひと足の所でおめえはどぶんを極めるところだった。それを助けた半七はまあ命の親というものだろう」と、半七は笑いながら云った。「命の親に嘘を云うのは良くねえことだ。これからは正直に返事をしてくれねえじゃあいけねえよ」
「はい」と、お霜は散らし髪の頭を下げた。
「いいかえ。嘘を云わねえ約束だよ」と、半七は念を押した。「おめえはこの間、おれに嘘をついたね」
「いいえ、そんな」
「下に来ているのは子分の亀吉という奴で、実はきのう川越から帰って来たのだ。おれの方でもひと通りは調べてある。おめえはおれに隠しているが、弟のゆくえを知っているのだろうな。きょうは花川戸のお葉のところへも廻って来て、その帰り道で丁度におめえに逢ったのだ。さあ、正直に云ってくれ。おれの方から云って聞かせてもいいが、それじゃあおめえの為にならねえ。おめえの口から正直に種を明かして、このあいだ嘘をついた罪ほろぼしをした方がよかろうぜ。それとも何処までも強情を張って、嘘を云い通すのか」
「恐れ入りましてございます」
「次郎兵衛はその後におめえの
「はい。二十七日の宵に忍んで参りました」
「そうして、どこへ行った」
「どうしても江戸にはいられない。といって、村へ帰ることも出来ない。相州大磯の在に知り人があるから、一時そこに身を隠していると申しますので、亭主には内証で少々の路用を持たせてやりました」
それを亭主の要作に
「次郎兵衛はどうしてお葉と懇意になったのだ」と、半七はまた訊いた。
「船のなかで······」と、お霜は答えた。「御承知でもございましょうが、川越から江戸へ出ますには、新河岸川から夜船に乗ります。その船のなかで懇意になったのだそうでございます」
お磯の身売りについて、お葉は玉の

その一夜をいかに過ごしたか、お霜もよくは知らないのであるが、
奉公先きに対する意見の相違で、彼は
こんなことで幾日かを夢のように送っているうちに、
しかし次郎兵衛は安心していられなかった。たとい誰が持ち出したにせよ、その笠に自分の名がしるされてある以上、自分も係り合いを
そのうちに、一方のお磯の身売りの相談がまとまって、お葉は本人を引き取るために再び川越へ出て行ったので、その留守のあいだに次郎兵衛は逃げ出した。恐怖に堪えない彼は、どうしても江戸に落ち着いていられないのであった。さりとて故郷へも戻られないので、彼はお霜から幾らかの路用を貰って大磯へ逃げた。
これだけの事を知っていながら、お霜は弟が可愛さに、今まで秘密を守っていたのであった。
「先日のお調べにいろいろ嘘を申し上げまして、まことに申し訳がございません」と、お霜は再び頭を下げた。
「そこで、そのお磯という娘は次郎兵衛と訳があったのか」と、半七は訊いた。
「それは弟もはっきり申しませんでしたが······」と、彼女は答えた。「お磯はお葉という女に連れられて江戸へ出て来ますと、次郎兵衛は姿を隠してしまって、女髪結の二階にはいないので、お葉はおどろいて真っ先きにわたしの家へたずねて参りましたが、先日も申し上げました通り、どこまでも知らないと云い切って帰しました。その晩にお磯が又、お葉の家をぬけ出して尋ねて来まして、自分は今度吉原へ勤めをすることになった。その訳は次郎さんもよく承知しているが、吉原へ行ってしまえば又逢うことは出来ないから、もう一度逢わせてくれと申します。これもはっきりとは云いませんでしたが、どうも弟と訳があるらしいので、わたくしも可哀そうだと思いましたが、弟のゆく先を話して聞かせるわけには参りません。話したところで、大磯まで逢いに行かれるものでもありませんから、わたくしは心を鬼にして、知らない知らないと云い切って、
その夜の悲しい情景を今更おもい起こしたのであろう、お霜はしくしくと泣き出した。
六
「お話が長くなりました」と、半七老人は云った。「これで大抵はお判りでしょう」
「そうすると、江戸城の一件は菓子屋の息子たちの
「そうです。悪戯というよりも、こんな悪い洒落をして喜んでいたのですね。さっきもちょっと申し上げました田舎源氏の一件というのは、堀田原の池田屋の主人が友達や芸者太鼓持を連れて、柳亭種彦の田舎源氏のこしらえで向島へ乗り出したのです。田舎源氏は大奥のことを書いたとかいうので、非常に事が面倒になって、作者の種彦は切腹したという噂もあるくらいです。それを平気で、みんな真似をしたのですから、無事に済む筈はありません。関係者二十六人はみんなお咎めに逢いました。それでも懲りないで、とかくに変った事をやって見たがる。江戸の
「それは何者です。太鼓持か
「堀の太鼓持、つまり
「じゃあ、その三八が野州の粂次郎なんですね」
「三八というのは芸名、生まれは野州宇都宮在で、粂蔵のせがれ粂次郎。こんな奴でもやはり昔の人間で、
「その相摺りは三八ですか」
「三八は五十両でおとなしく黙っていたのですが、お葉の亭主の松五郎には銀六という子分がある。そいつを連れて、お葉は増村へ嚇かしに行く。それも二十両や三十両なら、増村の息子も器用に出すでしょうが、お葉は三百両くれろと大きく吹っかける。いくら大店でも、その時代の三百両は大金で、部屋住みの息子の自由にはならない。といって、例の一件を親や番頭にも打ち明けられないので、自業自得とはいいながら、増村の息子は弱り切っていたのです。ほかに同じ遊び友達があるのに、お葉がなぜ増村ばかりを責めていたのかと云うと、増村の身代が一番大きいのと、最初にお城の一件を云い出したのは増村の息子だというので、専らここばかりへ押して行って、口留め金をくれなければ其の秘密を訴えると云う。これは
「三八は
「いや、それだから大難が小難と云うので······」と、老人は顔をしかめて云った。「三八は自分も係り合いだから、仲へはいって三十両か五十両でまとめようと骨を折ったのですが、お葉は容易に承知しない。三八も素姓が素姓だから気があらい。もう一つには、万一お葉の口からその秘密を洩らされたら自分の首にも縄が付く一件ですから、油断は出来ない。これがもう少しごた付いていると、三八は度胸を据えて、お葉と銀六を殺してしまう覚悟であったそうです。恐ろしい太鼓持もあったもので······。そんな事にでもなったら何もかもめちゃくちゃで、結局は万事露顕になるのでしたが、そこまで行かずに食い止めたのは仕合わせでした。
しかしここに困った事は、三八を表向きに突き出すと、増村の店に迷惑がかかる。見逃がしてしまうと、わたくしが八丁堀の旦那に済まない。板挟みになって困ったのですが、増村の番頭と相談の上で、お葉の方は三十両で
いや、怪我人といえば彼の次郎兵衛、姉から知らせてやったのでしょう、この一件が無事に済んだ事を知って怱々に江戸へ戻って来ましたが、江戸はおそろしい所だと云ってすぐに故郷へ帰ろうとするのを、姉夫婦にひき留められて、例の蝋燭問屋の万屋へ奉公することになりました。そうすると、その年の十二月二日は安政の大地震、店の土蔵が崩れたので、その下敷きになって死んでしまいました。どうしてもこの男には江戸が
この地震で、花川戸のお葉も死にました。お磯は吉原へ行って、
「みんな運の悪い人たちでしたね」と、わたしは溜め息をついた。
「増村の家に地震の怪我人は無かったそうですが、店は丸焼けになったので、その後は商売も寂れたようでした。今になって考えると、江戸三百年のあいだに、どんな悪戯をしても、どんな悪洒落をしても、江戸城の大玄関前へ行って天下を渡せと呶鳴ったものはない。全くこれが天下を渡す前触れだったのか知れませんね」
老人も嘆息した。