作品名: | 小桜姫物語 |
作品名読み: | こざくらひめものがたり |
副題: | 02 序 |
副題読み: | 02 じょ |
著者名: |
土井 晩翠 |
作品データ
分類: | NDC 147 |
作品について: | 底本には、以下の諸篇がおさめられています。 「01 舌代」(新字新仮名) 淺野正恭 「02 序」(新字新仮名) 土井晩翠 「03 小桜姫物語」(新字新仮名) 浅野和三郎 なお、「03 小桜姫物語」には底本どおり「01 舌代」「02 序」をすべて納めています。 |
文字遣い種別: | 新字新仮名 |
備考: | 「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。 |
作家データ
分類: | 著者 |
作家名: | 土井 晩翠 |
作家名読み: | どい ばんすい |
ローマ字表記: | Doi Bansui |
生年: | 1871-12-05 |
没年: | 1952-10-19 |
人物について: | 詩人、英文学者。「荒城の月」の作詞者である(作曲は滝廉太郎)。「オヂュツセーア」「イーリアス」の翻訳者としても有名である。生い立ちについては、「「雨の降る日は天気が悪い」序」にある自伝を引用する。
『父は七郎兵衞(初名は林七――號は擧芳)母は愛、略三百年仙臺に定住して來た家で、明治四年(公元一八七一)十月二十三日(太陰暦)同市北鍛治町に生れ、八歳の時、『培根小學校』(今の木町通小學校)へ入學、十一歳の九月、擧家一同大町に移つたので近所の佐久間(晴嶽)塾に數ヶ月入塾、轉じて立町小學校に入り、十四歳で卒業したが、それから十八歳までは獨學、只一年内外齋藤秀三郎先生が當時創設された仙臺英語塾に通學、十八歳の九月に二年前新設の第二高等學校の補充科第二年に入り、豫科三年本科二年を卒へ、續いて當時唯一の(東京)帝國大學に入り英文學を修め、明治三十年卒業、三十二年母校に奉職、三十四年六月出發、外遊して英佛、獨、伊を廻り、三十七年末日露戰役の最中に歸朝、翌年また母校に奉職して爾來二十餘年――今なほ續いて怪しげな英語教員である。初めて公刊したのはカーライル英雄論の譯(明治三十一年、春陽堂)その序の中に『著者の心と讀者の心と調を一にせぬなら讀書の效用が無い、私は今日の才子者流に對して本譯の誦讀を望まない』など穉氣笑ふに耐へぬ言を吐いたが、しかし大體に於ては今でも斯く信じてゐる。次に刊行したのは處女作『天地有情』(明治三十二年四月七日發行)――甚だ幼いものだが、多大に世間から愛讀されたのは豫想外の僥倖であつた。續いて『曉鐘』『東海遊子吟』『曙光』『天馬の道に』を刊行した。序ながら(曰はでもの事であるが)詩に於ては屈原、李白、杜甫‥‥ゲーテ、ユーゴー、シエレイ‥‥を多年に亙つて尊敬してゐる。東西の聖經中の純正高尚なものに對しては只たゞ、崇拜と曰ふより外はない。』 また、「土井」の読み方については、「「雨の降る日は天気が悪い」序」にある以下の附言に従い、「どい」としている。(門田裕志) 附言(一)私の姓を在來つちゐ[#「つちゐ」に傍点と發音し來たが選擧人名簿には「ド」の部にある。いろ/\の理由でこれからどゐ[#「どゐ」に傍点に改音[#「改音」に白丸傍点することにした。特に知己諸君に之を言上する。 |
底本データ
底本: | 霊界通信 小桜姫物語 |
出版社: | 潮文社 |
初版発行日: | 1985(昭和60)年7月31日 |
入力に使用: | 1998(平成10)年7月31日第9刷 |
底本の親本: | 霊界通信 小桜姫物語 |
出版社: | 心霊科学研究会出版部 |
初版発行日: | 1937(昭和12)年2月 |
工作員データ
入力: | 浅野和三郎・著作保存会 |
校正: | POKEPEEK2011 |